名列車列伝特集 14-07「対九州特急の新ジャンルを築いた名特急07」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「あかつき」編第7回となります。本日は昭和47年3月のお話をしていきます。
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(Kt1641F)さて、昭和50年までの「あかつき」の増発って、えらいことになっていくわけですよね。
(N)実は、鹿児島本線系統だけでなく、長崎本線、佐世保線系統が相次いで生まれることになりますので、それについてもご解説いただきます。
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(Hs1208F)ということで、「対九州特急の新ジャンルを築いた名特急07」をお送りいたします。それでは、ゲストの方々、よろしくお願いします。
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(EF65型P)さて、寝台特急「あかつき」は2往復のまま、運転されておりました。今までの話をおさらいしておきますと、昭和40年10月1日のダイヤで、新大阪駅と鹿児島中央駅(当時の西鹿児島駅)と長崎県の長崎駅を皮切りに、運行がスタートし、昭和43年10月1日のダイヤでは、佐世保線の佐世保駅までのルートを加えた増発便が誕生。それによって、鹿児島中央駅に2往復の列車が行きかうという状態となりました。しかし、それでも、お客様の需要に対して、供給が追い付いていないという状態は続いており、早くも増発列車の期待が高まっておりました。それが、昭和47年3月15日のダイヤ改正で実現します。それが、新大阪駅と熊本駅、長崎駅を結ぶ「あかつき」の誕生でもありました。
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(Hs1208F)ちょ、ちょっと待ってください。熊本駅行というのは、「あかつき」ではなくて、この場合は、「明星」号で増発対応させるのが、主流では?
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(EF65型P)確かに、ここでのセオリーは、「明星」号ですが、長崎本線へのルートは供給が追い付いていないという状況であったことを考慮すると、客車特急のエースとして「あかつき」に白羽の矢が立ったわけです。それゆえ、寝台特急「あかつき」の熊本駅と長崎駅を結ぶ列車ができたわけです。実はこれが、序章にしか過ぎなかったのです。実は、新型客車の登場によって、様々な行先の組み合わせが出てきます。
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(Kt1641F)まだ、序章だったのですか??? それって、どういうことですか????
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(EF65型P)実は特急「あかつき」は昭和47年3月のダイヤ改正では、足りないと判断した国鉄上層部では、単独で運転する「あかつき」を増発させますが、これが熊本駅発着ということから、普通「明星」号の増発で対応するのですが、寝台電車として運転されるのが583系電車の供給が追い付かない状態であったことを考えると、それが難しいのが実情でした。なぜなら、この当時の昼行特急エース「つばめ」に4往復、「しおじ」に1往復、明星」に4往復、「月光」2往復、あとは「きりしま」、「金星」で各1往復としていて、合計で12往復が運転されていたわけですので、「あかつき」が合計4往復と、「彗星」が2往復運転されていくことになっていきます。そのため、鹿児島中央駅と、熊本駅を結ぶ列車が、14系客車に置き換えて、1往復を20系客車で運転されていたわけです。それ以外にもEF65型Pから、EF58型先輩に引き継いだのです。
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(EF58型)さて、特急運用にカムバックしたのですが、なぜカムバックできたのか、それはEF65型の運用に鍵がありました。実は、EF65型は1000番台が昭和47年3月以降に製造が開始されたわけですが、貨物の牽引をメインに回っていたので、EF65型Pが運用を酷使することになるわけで、EF58型がカムバックできたわけです。実は、最高速度は毎時95キロで運転できる能力を有していたのは、EF58型だけでなくEF65型Pもそれなりにあったわけです。ちなみに、私で精一杯で、EF65型Pは60パーセントくらいですね。
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(EF65型P)ありがとうございます。照れますね。ということは、EF66型君は55パーセントかな?
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(EF58型)まあ、そんなことがありつつ、寝台特急「あかつき」が4往復となるのが、この年の10月でした。しかし、昭和48年3月に本チャンがやってきます。実は、昭和47年に福井県敦賀市で起きた北陸トンネル火災事故により、食堂車の営業が停止された列車も出てきました。そのため、特急列車の中で、「営業停止」をやられてしまったわけです(-_-;)。ところが、それだけでなく、昭和48年10月のダイヤ改正で、新たな車両が導入されることになります。その車両が、24系のベース車両となる24型です。この車両は、改良型の25型とは異なり少数精鋭だったわけで、24型のA寝台車両は、20系、14系客車と同じ、解放式の寝台を使用していたのです。実は改良型の25型で待望のA寝台個室車両が誕生します。この車両が、「あかつき」とかかわるのは晩年に至る平成年間に導入されることになります。実は、20系客車でも個室寝台客車が連結されておりましたが、短期間で普通の解放A寝台に代わったという歴史があります。しかし、この3種類が運転されることになるわけですが、この時、「あかつき」は多くの列車が分割を行うことになるわけです。さて、寝台特急「あかつき」の系統は、えらいことになっていくわけです。まず、一気に4往復から、6往復に増えます。2往復増えたのは…、新型車両の増備がかかわります。一つ目の系統は、新大阪駅から鹿児島中央駅と長崎駅を結ぶ、初期に登場した「あかつき」の編成が、20系客車で運転されているタイプで、一番初めに登場した系統で、続いては、単独の系統で、鹿児島中央駅に向かうタイプです。そして、鹿児島中央駅の発着系統は、2種類あり14系客車と、24系24型客車が割り当てられていたのです。そして、長崎駅と佐世保駅の単独列車が、新設された系統で、佐世保駅単独列車は、鹿児島中央駅と抱き合わせだった系統を分割したもの、長崎駅行が熊本駅行と抱き合わせだった系統を、分けた形になります。ちなみに、熊本駅を結ぶ列車を鹿児島中央駅まで延伸することになります。そして、最後の系統は、東海道山陽新幹線博多駅開業の後に、メインとなる長崎駅と佐世保駅をひとまとめとした列車です。この時は、まだ1往復しかありませんでした。
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(Kt1641F)しかし、新型車両は「彗星」にも投入されるのでしょ? それに、一つ気になったのが時刻表を見たのですけど、「彗星」の1列車と「あかつき」の1列車が、新大阪駅からの下りが同じ出発時刻、新大阪駅への上り到着時刻が同じなのですけど…、これはいったい?
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(EF58型)それは、併結列車のことで、この車両は、当時の急行「西海」と「べっぷ」を併結した列車が誕生しました。そして、基本編成は「あかつき」が担当していたわけです。その形には、14系客車の特性を生かすことができたわけです。しかし、この改正は明後年に迫っていた東海道山陽新幹線の博多駅開業を考慮し、これ以上の大きなダイヤ改正はできないという制約の中で、実現したものでした。ちなみに、「彗星」の往復数も変更されこの列車増発に際し、4往復体制に移行、都城駅を発着する列車が、1往復であとの3往復が大分駅どまりというものとなっておりました。実は、電車寝台特急では、往復数は昭和47年3月と変化はないのですが、現在の鹿児島中央駅に向かう列車は、客車の「あかつき」を含めて、関西発が6往復、東京駅発着列車を含め、8往復が活躍していたわけです。
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(Hs1208F)すごい陣容ですね。その前に、24系24型って、大量投入されたのはわかりましたが、その置き換えた客車は、どうなったのですか?
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(EF58型)その客車たちは、大阪駅から新潟駅を結んだ「つるぎ」号の設定、さらには当時、増発が相次いだ「ゆうづる」の増発用、増結用に充てられることになるわけです。それにしても、私が復帰したことも含め、いろいろな意味で変化があったのが、この2年での出来事でした。しかし、私がこの役を降りるのは8年後、その間に「あかつき」が大幅に本数を削減することは想定できていませんでした。次回は、昭和50年のダイヤ改正から、一気に転落への道をたどった「あかつき」たちのお話をしていきます。それでは、次回のお話をお楽しみに…。
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(Kt1641F)エンドコールありがとうございましたm(_ _)m。

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