阪神なんば線開通10周年記念旅 01

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から、「阪神なんば線開通10周年記念旅」をお届けします。
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さて、私は地元駅を朝早く出発、大阪難波駅に向かいました。
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しかし、課金できないため、泉北ライナーはパスして、隣のホームに入ってくる列車に乗り込むことになりました。
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やってきたのは、1000系1002編成で南海難波駅行普通に乗り込みました。
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そういえば、5月はいろいろと南海さんも忙しいようで…。と考えつつ、難波駅まで急ぎました。
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乗車したのは、引退が決定してしまった6000系6007編成の橋本駅先発南海難波駅行急行を乗り継いで、南海難波駅に向かいました。
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堺東駅を出た直後に、30000系の特急「こうや」を撮影した後。
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大阪市内までは撮影できずで、ようやくとったのは、これです。天下茶屋駅付近です。
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新今宮駅では通称名は「山を下りた男」の異名を持つ「こうや2000系を撮影に成功。
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その後、難波駅にたどり着くまで…、「まだ南海電鉄線の撮影か!」と突っ込まれますが、ようやく南海難波駅に到着。
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さっそく、大阪難波駅に急ぎます。
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その前に、南海本線の車両を撮影したのですが、
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レインボーラピートを撮影後、
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8000系8001編成(トップナンバー)の関西空港駅行✈空港急行を撮影して、大阪難波駅に急ぎます。
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そこで、S氏と天空氏の二人を伴い、さっそくスタンプツアーに出発します。
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さっそく飛び乗るのは、阪神1000系電車の尼崎駅行普通です。これに乗り込んでいくのですが、その前に撮影できたのは、23000系の奇数編成でした。行先は、賢島駅行特急(乙特急)です。
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さっそく寄ったのは、尼崎駅です。ここでスタンプを回収します。実際に道程を説明すると次のようになります。
私たちは、大阪難波駅にいるため、阪神電鉄と近鉄をちょうど結節点に立っていたということになります。となると、選択肢は二つになりますよね。一つ目は、大阪難波駅から東に向かい、奈良駅を目指すという東ルート、もう一つは、大阪難波駅から西側に向かい、神戸三宮駅方面を目指すルートです。私たちが取ったルートは、後者の神戸三宮駅方面を目指すルートです。
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さて、尼崎駅を出て次に向かう駅は、西宮駅ですが、このスタンプ回収の大本となったの阪神電鉄なんば線の誕生の解説ですが、阪神電鉄は大阪の北側の梅田駅を起点にとして運転を開始した路面電車を祖とする鉄道会社でしたが、「キタ」と呼ばれた地域は、ビジネスマンたちを工業地帯に、運ぶ役割を果たしておりました。路線状態から察して、当然のことながらですが、スピードアップをするには足枷となるカーブ区間を持っていたこともあり、なかなか時間短縮ができなかったのが悩みの種でした。
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恐らく、路線としては、短い区間ながら後発組である阪急(のちに阪神電鉄を救う救世主となるのは、また別のお話)、官営鉄道(現在のJR西日本神戸線)と熾烈な乗客獲得競争を演じていたことを考えると、不利であることには変わりなく、スピードアップを行わないとダメだと考え、当時のターミナルである西梅田地区の梅田駅を短絡する路線の建設を思いついたわけです。
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しかし、高速化する伝法線は、梅田駅からは少し距離が出てしまうと考えられたため、その行先を変更し、大阪難波駅にするまでには、時間がかかってしまいます。その間に、太平洋戦争などの難局を経て、この計画がまとまったのは、昭和35年のことです。実は阪神電鉄と近鉄は、大阪市内を貫通させる路線構想を持っておりました。当初の計画では、奈良線のターミナルだった大阪上本町駅を起点に日本橋、大阪難波、桜川を経て、西長堀、阿波座、玉川(のちに大阪環状線の野田駅との連絡駅となる)、野田駅と続き、野田駅から阪神本線にはいるというこうそうを持っておりました。この後半部分の路線で、気づいた方もいると思われますが、実はこの路線は、現在の大阪メトロ千日前線の野田阪神駅と難波駅のルートそのもので、それに横やりを入れたのが、大阪メトロの前身となる大阪市交通局でした。そのことがあって、
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阪神本線との接続ができない以上代替え線が、必要となってくるわけですが、そこで、建設していた伝法線を西九条駅まで延伸させて、大阪難波駅を介しての路線を延伸させる計画に変更し、対応させようと考えたのです。
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それが、新幹線開業と同じ昭和39年、あとは、西九条駅から大阪上本町駅までの区間を残すのみとなりました。西九条駅と尼崎駅を結ぶ路線は当初は高速線という位置づけで、建設されたのですが、それが、戦時できない状況となってしまい。複線のまま追い越しができない構造となり、都会に埋もれたローカル線になりかねない状況もはらんでいました。
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そんな中で、近鉄側はどうしたのかは、次回の解説でお話していきます。さて、私たちは山陽電鉄5000系5004編成山陽姫路駅行直通特急に乗り込み、途中に、甲子園駅に停車後、西宮駅に到着。そこで、ジェットカー5500系5505編成を撮影。ここでもスタンプ回収したのですが、実は回収先がどこだったのか、右往左往した挙句、東側の改札口であることが分かり、慌てて回収するハプニングになってしまいました。
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そのあとで、次は神戸三宮駅を目指すのですが、その前に、行ってみたい場所がありまして、そこに行ってみました。
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どこかといいますと、西宮戎神社です。なぜ、ここなのかといいますと、実は、『菜の花の沖』で高田屋嘉平が暮らした場所として紹介されていたそうなのです。実は、司馬遼太郎氏は、西宮は商業圏としては、大阪に入ると書かれております。そのため、大型船は、この西宮の港で、小型船に乗り換えて、大阪まで荷物を運んでいたわけだそうです。
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さて、阪神8000系8245編成の山陽姫路駅行直通特急に乗るのではなく、
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停車駅が直通特急よりも少ない、神戸三宮駅行快速急行に乗り込んで、阪神のメインターミナルとなる神戸三宮駅を目指します。
「ちょっと、ペースが速すぎやしないか?」と思われるかもしれませんが、実は、奈良県内に行くので…ということで、次回をお楽しみに。それでは。

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