名列車列伝特集 14-09「対九州特急の新ジャンルを築いた名特急09」

(N)さて、本日の話題の2本目の前に、お知らせです。明週の土曜日ですが、「鉄タビ」本編記事は予定通りですが、「名列車列伝特集」の「あかつき」編の記事が、間に合わない状態となる可能性があります。それをご了承ください。ということで、本編に参ります。前回は、昭和49年から昭和50年のお話をしたのですが、今度は昭和50年のダイヤ改正直後の昭和51年と昭和53年のダイヤ改正についてお話します。
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(Kt1641F)それって、どういうことなのでしょうか?
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(Hs1208F)ただ単に列車の本数が削減されたわけではないのですよね。
(N)確かにその通りで、このダイヤ改正では、長崎本線の電化工事が完了となったこと、それと、鹿児島本線系統に変化があったことが背景にあります。では、ゲストの皆様方よろしくお願いいたします。
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(EF58型)さて、寝台特急で使用していた14系車両は、この当時としては珍しくない広域運用が行われていました。私も彼に話を聞くと、九州を立って、大阪にやってきたのはいいけど、そこから今度は青森に向かうという話をしていたのですから、それを聞いて驚いたくらいです。そして、青森駅まで向かう列車というのが、当時2往復で運転していた「日本海」でしたから、その列車を、彼らは担当していたわけです。ところで、「あかつき」は、新大阪及び、大阪駅から長崎本線系統の列車となったのですが、そのうち長崎本線と佐世保線の全線電化が完成したのが昭和51年です。しかし、「あかつき」はこの影響を受けたわけではなく、そのほかの列車が影響を受けておりました。それは、「明星」です。昭和50年のダイヤ改正で、一気に7往復という大所帯となったのですが、実は、輸送力の高いはずの鹿児島本線は、関西先発の列車の運行本数が、多くなりすぎて、少し運行に支障が出てくするのではという懸念が広がっていたことと、赤字決算を計上していた国鉄では、これ以上の運転を継続するのは困難となる列車が増えることも考えられたため、寝台特急「明星」号の便数削減を検討開始しておりました。
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(Kt1641F)ということは、「明星」号にしわ寄せがいったというわけですか?
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(EF65P)そういうことです。そこで、昭和53年のダイヤ改正から寝台特急「明星」が2往復削減。それと同時に、長崎本線系統の「あかつき」にも変化が出てきておりました。実は、この「明星」号に連結されていた「あかつき」2往復を1往復に統一して、2往復体制したのも、「明星」号の削減が影響しております。実はこの関係で、困ったのが筑豊地方のお方だったわけです。そこから、大阪に向かって走る直通列車がなくなってしまうため、その需要を確保するため、「あかつき」の1往復が、この担当に当たるわけです。その列車は筑豊本線経由する編成を佐世保線佐世保駅行が担当したといわれております。
EF58型電気機関車「あかつき」(一般機時代{晩年}).png
(EF58型)さて、そういうことから、2往復に整理された「あかつき」は、長崎と佐世保駅行のみで運行する体制に代わります。その後は、2往復体制を維持するのですが、これが、「あかつき」たちを更に追い詰めて行くことになります。昭和53年のダイヤ改正以降、牽引機関車の交代は、昭和55年により、東京地区と下関で活躍していたEF65型PFを投入させていました。そして、彼が大活躍することになるわけですが、それは次回のお話とします。

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