阪神なんば線開業10周年記念旅 05

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「阪神なんば線開業10周年旅」の第5回です。
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大和西大寺駅で、すべてのスタンプを回収したわたくしたちは、大阪難波駅駅行急行に飛び乗って、奈良県内を後にします。実は、この先ですが、大阪府内のどこに向かうのかですが、ある場所に向かうことになりました。それは、近鉄発展の礎となった生駒トンネルです。
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実は、阪奈間に鉄道を建設する目的で、明治43年創立された「大阪電気軌道」、元は「奈良電気軌道」は奈良県の県都の奈良市とを結ぶために、巨大なトンネルを製作することとなったのですが、生駒山を貫通させるには、莫大な投資が必要となっておりました。それを示す証拠として、寺本光照氏の『こんなに面白い! 近鉄電車100年』(発売元:交通新聞社)によると、暗峠をケーブルを使用したインクラインシステム案や、現在の阪奈道路ルートを建設する案が浮上するのですが、どちらもコスト面、利便性面でメリットがなく、結果的には、生駒トンネル開削案が採用されることになります。近鉄ではおなじみですが、このトンネル開削には膨大な時間がかかることが明らかとなっていて、開削は明治44年に始まります。この時に開削を請け負ったのが、大手ゼネコンに成長した「大成建設」株式会社です。
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この話については、「近鉄鉄道祭り’15 「GO GO Rail ways! 近鉄ライナーズ」」では、「新生駒トンネル」について述べておりますが、実は、「旧」生駒トンネルを開削したのも「大成建設」でした。実は、この当時は、関西にいた土木作業員だけでなく、現在の隣国である大韓民国、および朝鮮民主主義人民共和国の土木作業員も呼ばれていました。近年の日韓関係悪化の引き金となった徴用工とは異なり、彼らは自らの足で建設作業に参加しており、その建設作業員の待遇は、当時の日本と変わらず良いものだったという記録も残っております。ちなみに、大韓民国で話題となっている落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)氏は、本年7月2日に行われた国連のスピーチでも、「日本で働いた朝鮮人は日本人と同一賃金であり、朝鮮人に対する差別はなかった」「監禁状態や強制収容所のような抑圧体制はなく、朝鮮人は自由であった」と述べておりますが、それは、過去の記録からも正しいというのが実態で、韓国政府の事実誤認と、「日本=悪者」という扱いが浸透してきている証拠とみている研究者も多いことをにじませております。
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さて、話をもとに戻して、その中で事件が起きてしまうのですが、開削開始から2年が経過した大正2(1913)年1月26日に、岩盤崩落事故が発生、153名が巻き込まれて生き埋めになる大惨事となりました。しかし、そのうち19名が帰らぬ人となった以外は、救援隊の必死の救出活動が功を奏し、重症となりながらも命を取り留めた作業員が多く、現場から生還を果たしました。実は、昭和23年3月31日に起きた「花園駅724列車追突事故」では、「無くなった朝鮮人の亡霊がこの事故を引き起こした」といううわさが取りざたされたといわれております。しかし、それもうわさの範囲内から出ないこともあって、いつの間にか立ち消えとなったともいわれております。
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といったわけで、大正3(1914)年4月30日に路線が無事開通と相成り、大阪と奈良の間を電車が走ることとなったのです。
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その時に投入されたのが、モ200型を名乗ることになるデボ1型です。この車両は、木造車両で3扉を配置した当時のスタンダードの車両でもありました。しかし、変わっていたのは、急こう配を登ることを考慮したモーター構造で、123キロワットのモーターを2台搭載していたのです。当時の路面電車(近鉄奈良線は軌道法にのっとり、建設された)では、オーバースペックですので、宝の持ち腐れとみる人もいますが、さにあらずで、近鉄奈良線の状況からとしては、この形でよかったわけです。
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そして、この時に開業したのが、この駅「孔舎衛坂」駅です。しかし、今はありません。この後の「新」生駒トンネルの開業時に、廃駅となってしまいます。
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そして、現在は、という前に、次回の記事に回ります。ということで、今回はここまで、次回をお楽しみに。それでは。

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