阪神なんば線開業10周年記念旅 09

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「阪神なんば線開通10周年記念旅」の第9回をお届けします。

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さて、鶴橋駅にいた私とS氏、「天空」氏の3人は撮影中でしたが、解説の中身は、「奈良線花園駅追突事故」後のお話です。
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今回のお話は、近鉄奈良線の車両に関しての影響は、この事故以後どうなったのかです。実際に昭和25年に隣国で起きた「チョソン動乱」こと「朝鮮戦争」で、日本の景気は回復への兆しをつかんだの事実ですが、近鉄奈良線の車両に関しては、自動空気漏れを検知するブレーキを搭載していない車両が、奈良線から撤退することが決まり、半鋼製の車両が残るという結果をもたらしました。デボ1型と呼ばれた3両は、事故のため勿論のことながら廃車となったのですが、同型となった車両は、平坦区間を走る橿原線と、当時奈良電本線と呼ばれていた近鉄京都線にコンバートされて、そこで余生を過ごします。その間に、形式番号の変更で200番を名乗ることとなり、デボから「モーター」の意味である「モ」に形式名称も変更されています。
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他方、残った半鋼製車両は、近鉄奈良線の輸送力の急増に耐えられなくなる昭和39年まで、活躍を続けますが、その後は昭和40年以降に橿原線に転属し、橿原線の車両限界の拡幅が行われる昭和48年まで活躍していきます。その間に、車両の構成を大きく変更する改造も行われており、旧型車両でありながらも、新型車両と同じ性能を持つ車両が活躍しているのですが、改造後の活躍はわずか1年と持たなかったようなのです。
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しかし、どういうことなのかといいますと、京都線の輸送容量が高くなってきたことが挙げられていたわけです。そのため、新造した車両で賄うという方が、維持費が抑えることができるので、効率が良いという意見からとされているわけです。
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そして、その結果で奈良線で問題となってきたのが、輸送力増大による車両の大型化により、生駒トンネルが窮屈になってきたことが明らかとなってきたのです。そのため、生駒トンネルから南の地点に大阪側の出口を設け生駒側は、生駒トンネルのすぐ南側に出口を開くということです。
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これが、近鉄奈良線の新時代へ向かっていくのですが、新生駒トンネルの開削を担当したのが、生駒トンネルを開削を担当した大林組で、昭和39年に全線開通により、改良されていったわけです。
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現在は、近鉄奈良線を飛躍させた出来事となったわけです。そして、現在は、1時間内に最速列車となる快速急行が3本、急行が3本、準急系統が6本、普通列車が12本という状態となっております。そのうち、快速急行は神戸三宮駅方面へと運転されていくのですが、それは阪神なんば線の開業によって変えられることになります。
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ちなみに、昭和44年には、奈良線の終端部の大和西大寺駅から近鉄なら駅までの路線改良工事が行われ、奈良駅が地下化されることになり、JR奈良駅の近くで連絡駅として機能していた油坂駅が、移転の上で新大宮駅に移動、昭和45年には難波線の開通もあり、近鉄奈良線は現在の姿になったのです。
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さて、今回の解説は終わりとなるのですが、最終回ということで、次回の旅をお楽しみに。それでは。

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