晩夏の加太への旅 3

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「晩夏の加太への旅」の第3回となります。

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7197編成の加太駅行普通が停車中ですが、この加太線のお話を改めてご紹介していきます。実は、この路線は、南海電鉄とはルーツが異なります。そもそも、加太方面の路線は、明治43年に軽便鉄道線として免許を取得したのですが、この路線と同じく創業した企業がありますが、それがご存知の方も多い近畿日本鉄道の母体、「大阪電気軌道」です。この鉄道会社が、あとでかかわってきます。
それは、置いといて加太線の話に戻しますが、この鉄道は北島駅と加太駅を結ぶ路線として運転を開始しました。この和歌山口駅が北島駅を結ぶ形となったのですが、紀ノ川橋梁が完成したことから、南海電鉄の和歌山市駅の北側に連絡駅を設けたことで、和歌山市駅と加太駅を結ぶ通勤路線として運転されておりました。
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さて、実際に昭和5年からは、電化設備を増設したことから、会社名が加太軽便鉄道から、加太電気鉄道に変更します。この時に新設駅が2駅あり、
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和歌山市駅と中松江駅側との間に東松江駅を、八幡前駅と二里ヶ浜駅との間に西ノ庄駅を設置したのは、この電化直後です。
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では、今の南海電鉄の一員となったのはいつなのかといいますと、加太鉄道線の開通は、明治45年のことで、南海電鉄の一員として買収されることになるが、全線開通から30年後の昭和17年に南海電鉄の前身、南海鉄道の一員となったのです。それから2年後、昭和19年には「大阪電気軌道」の発展企業である「関西急行電鉄」に南海鉄道は買収されることになります。ここで一つ疑問を持つ方もいますが、南海鉄道の範囲はどこまでだったのかという問題です。
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実は最初のところで、私が一人で乗っていた南海鉄道の高野線は、橋本駅までが昭和19年当時は、南海鉄道の管轄路線だったのですが、橋本駅から高野山極楽橋駅までは、のちの南海電鉄の母体となった「高野山登山鉄道」が、管轄していた鉄道路線だったわけです。では、少し横道にそれますが、そもそも、南海鉄道と「関西急行鉄道」が合併することになったのか、そのかかわりについては交通新聞社刊行の『こんなに面白い! 近鉄電車100年』を使用して、解説していきます。
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実は、それから遡ること3年前の昭和16年12月8日に、ハワイ島の真珠湾攻撃か始まった太平洋戦争の勃発により、中華民国はおろか、アメリカ合衆国とも戦争をする羽目になってしまった日本は、緒戦こそ有利に立ったものの、「珊瑚海海戦」を契機に、攻勢に陰りが見え始めており、続く「ミッドウェー海戦」で主力空母艦隊を失う羽目に陥り、以後の戦略が見通せない中、昭和20年の敗戦まで引けないという形が続きます。それは、国内にも大きな影響を及ぼします。「陸上交通統制法」と呼ばれる法律ができたのはこのころです。そして、その対象として政府が要請したのが、鉄道の合併事業でした。実はこれによって、現在の大手私鉄の大枠が出来上がったともいわれております。その落し子的な存在として有名な企業が、名古屋にあります。
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あの名古屋鉄道こと名鉄です。実は、この企業は、名古屋駅を境に西側の岐阜方面が「名岐鉄道」、東側の豊橋方面を「三河鉄道」としていたのです。これを合併させて「名古屋鉄道株式会社」とし、現在の名鉄として定着しました。ほかには、京阪電鉄と阪神急行電鉄、さらに新京阪電鉄を合併させた「京阪神急行電鉄」が誕生したのも、この法律によってです。しかし、
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もともと、毛並みも違ううえ、大阪市内のターミナルがつながっていない(大阪府内には接点があった{河内長野駅})両者を合併させたのは無理があったからか、結果的には、わずか3年という短い期間で、両社はそれぞれ別の会社として再出発を果たします。
実は、近畿日本鉄道は南海鉄道との合併前にも、小規模鉄道の吸収合併を何度も行っており、南海鉄道との合併前には、信貴山急行鉄道と南和鉄道を取り込んでいますが、実際に、路線の線路を供出していて、単線とさせてしまった路線もあり、さらに言ってしまえば、ターミナルとなる都市が空爆を受け、死者を出すことになる。これは、古今東西どの都市でも起きており、もちろんのことながら、ターミナルを有している両社とも大きな被害が出ていたわけです。
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しかし、その受け皿がない状態となっていた南海鉄道の路線を引き受けることとなったのは、南海電鉄の母体となる「高野山登山鉄道」となるわけです。翻って、加太線はどうだったのかといいますと、東松江駅と南海鉄道本線だった紀ノ川駅との間にバイパス線となった松江線が開業したのが、近畿日本鉄道の発足と同時であり、これがのちに加太線を構成していきます。そして、2年後には電化されますが、紀ノ川橋梁がジェーン台風で破損すると、南海本線との接続駅を介して、南海本線との運用を一括化するのが効率的だということで、昭和28年には、和歌山駅(北側)と北島駅との路線が、運用を休止し、昭和30年には路線自体の区間廃止が決定し、北島駅と東松江駅間を結ぶ区間廃止はそれから11年後の昭和41年となって、現在の路線配置が確定します。
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この加太線が観光路線にかじを切ったのは、以外にも最近のことで、平成24年に至ってからです。実は、和歌山の一大観光地といえば白浜駅を含む南紀地域で、和歌山市はあまり観光には力を入れてきておりませんでした。平成24年に加太線開通100周年を記念したイベントを経て2年後、「加太さかな線」プロジェクトがスタートしたことから、「めでたい電車」のプロジェクトも同時に始動したというわけです。
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さて、加太駅に着いたのですが(いきなり)、もちろん目的地は、加太にある「淡島神社」です。この神社にはあの有名な「淡島信仰」としても有名で、女性信仰の最高峰といわれております。「ひなの節句」では「流し雛」の風習が残っていて、お祭りとしても有名です。
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さて、今回は加太線について詳しくお話したのですが、次回の第4回では、加太線の目的地となった「淡島神社」と「淡島信仰」について、お話していきます。次回をお楽しみに。

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