名列車列伝特集 15-05 「九州男児の本懐ここにあり! 九州の幹線を結ぶ特急 04」

(N)本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」の「有明」編の第4回ですが、前回ですが、準急列車として「有明」の名前が出てきたのですが、今回は昭和30年代後半から、九州の準急として運転を開始したのですが、今回はそこから、九州の鹿児島本線を代表する特急になることができたのか、それをお話していきます。
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(Kt1641F)それについてのお話は、前の回でお話したのですけど、今回は、その先のお話ですね。
(N)そうです。
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(Hs1208F)ということで、もう一人ゲストをお呼びしてお話を続けます。「九州男児の本懐ここにあり! 九州の幹線を結ぶ特急」の第4回です。ゲストの皆様よろしくお願いいたします。
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(キハ55型)さて、関西と首都圏から特急列車が入線し、人たちの往来が活発化したのですが、九州管内の列車については、準急で十分だろうという見方が多くありました。しかし、九州管内での急行は「開聞岳」からとられた「かいもん」が登場し、幹線急行列車が九州でも、ついに産声を上げてきたのです。しかし、それだけでは難しいと考えて、気動車への変更したのですが、その変更後に当たる昭和36年に入ると、東海道本線で急行列車の大量増発が起きたのですが、九州管内ではそういうったことはなく、進んできました。その形に変化が起きるのは昭和40年のダイヤ改正です。このダイヤ改正で、「有明」の名前が消えてしまいます。
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(Kth1104F)えっ? 消えたのですか?
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(キハ55型)そうです。実は消えたのは、準急「やくも」と「有明」を合わせた米子駅発着の急行列車が誕生したことが、原因でした。しかし、本当は消えたわけではなく、電車急行として岡山駅からやってくる熊本駅行の列車であった「山陽」が変更となり、「有明」の名前を冠する列車として運転されました。それが、昭和42年のダイヤ改正で晴れて特急へとか会わるのですが、実は、電車急行時代の「有明」は、岡山駅を朝早い8時半に出たら、熊本駅は午後6時前に到着するという形をとっており、8時間かかるのですが、上りも熊本駅をお昼前に出発したら、岡山駅には、夜の9時11分に到着するというダイヤで運転されておりました。実際に言いますと、夜に接続するのは、東京駅行の急行列車だったということになるので、首都圏連絡を意識していたのだといえます。
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(Kt1641F)なるほど、列車としては、継続運転だけど、その運転形態が大きく変更された。つまり性格が変わったわけですね。
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(キハ55型)そして、晴れて急行列車から特急列車に、運用を変更し、運転区間を一気に広げることになりました。実は、国鉄の上層部は、沿線利用者から一般公募で特急列車名を決めてもらおうとしたのです。そして、その特急の運転区間に選ばれたのが、「有明」の直後に誕生した急行「かいもん」の1往復、「第2・第1かいもん」号で、この運転区間こそ、のちの鹿児島本線トップスターとなる「有明」のベースとなった列車でした。門司港駅と現在の鹿児島中央駅を結ぶルートに、選ばれた名前こそ、「有明」でした。そして、昭和42年に登場した「有明」は、使用車両は、82系気動車です。この列車は「有明」の使用車両として選ばれたのです。
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(Hs1208F)確か、82系気動車ってことは? もしかすると…。
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(キハ82型【ヘッドマークは南紀で代用しております悪しからず】)1208編成さん、当たっておりますよ。実は、今回の特急「有明」の車両は、もともとは、関西と九州を結ぶ特急「みどり」が電車化した際に、余った82系気動車はどうなるのでしょうか、実は、それをほかの列車に充てていくということですが、それが「有明」を誕生させた要因というものです。実は「有明」の産出させる元となったのは、581系電車はどういう形で、「有明」の誕生を生んだのでしょうか、実は「あかつき」編が、関わってきます。実は「月光」という列車が出てきましたよね?
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(Kt1641F)そうですよね。って、その相手って!!
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(キハ82型【ヘッドマークは南紀で代用しております悪しからず】)1641編成さんご名答です。その通りで、581系電車の昼行特急は「みどり」だったわけです。そこで余った「みどり」から分かれた82系気動車を「有明」に回したのです。そして、昭和43年10月の時点では、それが最善の策といえました。当時の「有明」のダイヤは、下りが、門司港駅を、早朝6時50分出発、鹿児島中央駅午後1時15分到着。上りが、鹿児島中央駅を午後5時ちょうど始発、門司港駅には午後11時10分到着となりまして、昭和43年10月のダイヤでは、熊本駅周辺の複線化が完成したので、門司港駅を早朝7時出発で、鹿児島中央駅を午後1時12分着に代わります。そして、鹿児島中央駅を午後4時55分始発に代わり、門司港駅を午後10時54分に短縮されます。しかし、このダイヤ改正から2年もたたないうちに、鹿児島本線は大きな変貌を遂げます。これが、気動車特急があまり活躍できなかった大きな原因となるわけですが、それは、次回に回します。それは、あの「万博」が終わってからということになりますが、何かは、お分かりですね…。ということで、次回をお楽しみに。
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(Kth1104F)さて、どうなるのかは楽しみですね。次回をお楽しみに。それでは。

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