晩夏の加太への旅 07

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「晩夏の加太への旅」の第7回です。

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7100系南海難波駅行特急「サザン」で、大阪府泉大津市へと向かっていきます。実は、大阪と和歌山を結ぶ路線は、南海電鉄がはじめとしてあり、JR西日本の阪和線が南海電鉄より遅れて路線を開通させております。実は、この路線が、ほかの関西私鉄と異なり、関西方面では唯一「鉄道法」で敷設したことで知られております。
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その中で、日本初となる私鉄特急を誕生させるなど、様々なデッドヒートを繰り広げてきました。実は、このJR西日本の阪和線は、高速軌道を目的に建設されたわけですが、もともと漁師町を結ぶ南海電鉄本線に対して、内陸部を走る阪和鉄道(現在のJR西日本阪和線)は、南紀直通で勝負をしておりました。その話についての詳しい内容は、「名列車列伝特集」の「くろしお」編でさんざんやっているのですが、「紀伊半島の縦断した名特急」から少しかいつまんで説明すると、かつて快速列車「黒潮」号を運転することになりました。
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阪和鉄道はどうしても、和歌山市駅に接続させようという思惑があったのですが、その乗り入れを南海鉄道は断り、そこからライバル関係が生じたともいわれております。そんな中で、南海電鉄はライバル関係でありつつも、共存する道を選んできました。ところが、昭和60年に全面対決にかじを切ります。その最たる理由こそ、国鉄民営化の動きです。実は、近鉄特急をさんざん解説している関係で、「アーバンライナー」と登場時期が似たり寄ったりとなっている特急「サザン」専用車両10000系が登場した背景にも、国鉄分割民営化の動きがなかったわけではありませんが、そういったことが起きていたのは事実といえるかもしれません。実は、当時2両編成で登場していた10000系の唯一の弱点は、サニタリーシステムがないこと、このサニタリーシステムというのはいわゆる水回りのことを指します。それが唯一の弱点でした。サービスアップ目指して平成4年から4両編成化を行います。その後、「くろしお」とのデッドヒートを繰り広げますが、平成6年の関西国際空港の開業で再び共存共栄の道にかじを切ります。これとは逆の方向に行っているのが、東京の京成電鉄ですね。
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しかし、南海電鉄も来る「なにわ筋線」の開業を考えれば、共存共栄を選択する方がいいのでは、と考えているのでは…なんて思ってしまいますが…。さて、そこから岸和田駅に到着した後、
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南海難波駅行普通車に乗り換えて、泉大津市に向かいます。
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さて、「サザン」を見送ると、普通車はすぐに出発します。
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私は、四つ先の泉大津駅です。実は、私の地元の市のすぐ北隣の市ですから、行き慣れております。
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その普通車で10分ほどで、泉大津駅に到着。お目当ての場所についたのですが、何があるのかといいますと、
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実は、墓地です。実は、この墓地はよくよく見てみますとおかしなところがあります。これは、ロシア帝国軍兵士の墓地です。なんでこんなことになっているのかといいますと、明治37年に起きた日露戦争により、浜寺周辺が捕虜兵士の収容所となったことが、理由にあるからです。
しかし、1年にもわたる捕虜収容所生活を考えれば、暴動は起きる可能性はあり(当時は、革命思想がロシア帝国軍兵士の中にも蔓延していた)、そこで犠牲になったお方たちのお墓というわけです(撮影は2013年6月)。
では、その収容所跡はどこにあったのか。
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そこで、南海難波駅行空港急行に乗っていったのが、
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さて1000系が使用されておりましたが、何番か忘れてしまいました。すいません。ということで、続いては、日露戦争の浜寺捕虜収容所跡を見に行くことになります。次回をお楽しみに。
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高師浜線使用の2230系2233編成で向かいます。それでは。

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