名列車列伝特集 15-07 「九州男児の本懐ここにあり! 九州の幹線を結ぶ特急 07」

(N)さて、本日の話題の2本目は、「名列車列伝特集」から「有明」編の第7回をお届けします。
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(Kt1641F)さて、今回のお話は、昭和50年代の後半から60年代に至るお話ですね。
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(Hs1208F)それにおいて、どういうことでしょうか?
(N)それでは、「九州男児の本懐ここにあり! 九州の幹線を結ぶ特急」の第7回です。それではゲストさんお願いいたします。
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(クハ481型)さて、「有明」は対新幹線連絡特急として運用をこなしておりました。実は昭和55年以降、九州特急列車の乗客が需要を拾うのに精いっぱいでした。しかし、国鉄の赤字は、雪だるま式に増えてしまった形であり、東海道新幹線のころから、赤字を出すことになってしまいました。しかし、特急を増やすにも車両が足らないという事態も引き起こしたわけです。そこで、各種の工場が改造工事を行い、先頭車両化する車両も登場してきたわけです。この時も、わたくしたちは、中間車両から先頭車両に替えられた関係から往復数を多くすることに成功します。その効果が表れるのが、昭和57年11月のダイヤ改正です。これは、全国規模となり東北上越新幹線開業がメインだったのですが、このダイヤ改正のサブが、九州でも列車の増発が行われていきます。それは「有明」でも、5往復が増発され、門司港と博多駅から熊本駅の間を結ぶ列車として、運転を開始しました。ここから、鹿児島中央駅行を主力とした「有明」の性格が変わるきっかけを作ることになります。
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(Kt1641F)ということは、今までは長距離特急という性格があったのが、中距離特急へと変わったということになりますか?
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(クハ481型)そうです。実際に、熊本駅行の割合がどうなったのかといいます。7往復が熊本駅行を含めて17往復となったわけで、実質上は30分ヘッドとなったわけです。ちなみに、30分ヘッド化された形でありながら、車両の数には上限があって、そのままでは運用できないということに気づき、もとをただせば中間車両だった車両や、直流特急電車だった181系の経年が浅い車両を改良工事を施して加えるなど、荒療治を施して、この改正に臨みました。しかも、それを改造した車両は、そのまま民営化のJR九州でも威力を発揮し、編成を組み替えて、新型車両を導入するつなぎ役として活躍したわけです。その話は、「にちりん」編でも詳しくやるのですが、これが九州独自のJR特急車両の製作にもつながるのですが、昭和50年代後半まではそういうことはなく、改造車両で増発分を賄うということをやっておりました。
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(Hs1208F)その流れが、一気に変わったのですか?
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(クハ481型)その通りです。それは同時に急行などの中間を任されていた列車たちが、一気に消えることになるわけですが、それにしても、昭和60年までに改造された車両が、新設された列車や、既存列車の短編成化に間に合わせることになったわけです。昭和60年以降でも「有明」が活躍していきます。しかし、車両サービス低下が心配されておりました。実はちょうど、そのことを考えていました。そして、783系電車が誕生も秒読みかと思われたころ、昭和も終わるころの昭和62年4月から国鉄民営化が待っておりました。しかし、わずか2年の間ですが、この間に九州の鉄道事情は、大きくかあ割ろうとしております。どういうことかといいますと、高速バスとの競争が待っておりました。そのため、その乗客の需要があったのですが、そのあとがどうなるのか…。ということで、次回からは、昭和が終わり平成に入ってのころをお話します。ということで、次回をお楽しみに。
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(Kt1641F)エンドコールありがとうございました。

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