晩秋の明日香、壷阪寺へ愛と奇跡の旅 08

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「晩秋の明日香、壷阪寺へ愛と奇跡の旅」の第8回をお届けします。今回は、解説がメインとなる記事となります。

さて、
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私と「しまかぜ」氏は涅槃仏がある高台にいますが、この涅槃仏が石仏として出現したのとも重なるのですが、当初の仏教では、釈迦の姿は禁忌とされておりました。どうしてかといいますと、初期仏教は、釈尊(仏陀のこと)が入滅するとその遺骨を、「仏舎利」と呼び、その「仏舎利」を納めた建物を、「仏塔」と呼びました。実は、そもそもインドの仏教とが、信仰していたのは「仏塔」のほうでした。ただ、実際に、もともとの宗教の概念を打ち破ったこともあり、既得権益層からは、だいぶ煙たがられたのは事実でしょうか。
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ただ、この既得権益層は煙たがられたのではなく、当時のインド社会が大変革にあったためというのが、仏教成立時の背景に存在しておりました。どうしてなのかといいますと、仏教の指導者であった釈尊が生きた紀元前6世紀は、血で血を洗うインド版の戦国時代という様相が強く、産業の勃興、さらには商業の興隆が大きく、既存の宗教観にとらわれない哲学者を生み出す土壌を作り出しておりました。その中で、突出していた哲学者こそ、釈尊とジャイナ教の始祖ヴァルダマーナの2人です。実はどちらとも、王族の出身者ですが、ジャイナ教は究極の不殺傷を旨とし、釈尊たちの哲学は、なるべく殺傷を避けるという特徴としておりました。しかし、
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それから800年を経た4世紀に至ると、巨大な既得権益となっていた仏教と他宗教との力のバランスを、とるため、仏教勃興時に既得権益層となっていたバラモン教を復興させることを行っていました。そのため、仏教の概念に違和感があり、バラモン教を始祖とした宗教がインドで定着していきます。それがヒンドゥー教です。ところで、ヒンドゥー教の特徴として、「牛を食べない」という意味は、ジャイナ教や、仏教の不殺傷も関係していると、記事を読んでいる方は思われるかもしれませんが、ヒンドゥー教では「牛」は神の使いであるため、その使いを殺すことは、神を殺すこととイコールであるということで、少し関係は異なるそうです。
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そんな中で、宗教的要素を濃くした東に伝播した仏教が、皆様がおなじみとしている仏教ということになります。これは、西域を通ったことが大きく関係しております。この土地で暮らしていた鳩摩羅什の存在が大きく、漢語に訳した仏典を多く残したことが、研究の余地を残したため、日本の仏教および、東洋世界の仏教の発展につながっていくことになります。
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まあ、インドの仏教に一番近いとされるのが、チベットでここの仏教は、ネパールと中国の仏教のハイブリットであるため、インドの要素が残っているといわれております。実は、本場の仏教を学ぼうとした学生という立場で、インドに向かった修行僧が、あの『西遊記』のモデルとなった玄奘三蔵法師ですが、その話はおいておいて…。ざっくりとした話でしたので、分かりにくかったかもしれません。
ということで、次回の記事に向かいます。それでは。次回をお楽しみに。

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