朝熊をかけねば、方参り 04

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「朝熊をかけねば、方参り」のお話です。

さて、大阪難波駅を午前2時半始発となる宇治山田駅行特急(乙特急)に乗車しているわたくしですが、


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前回の動画で、少し触れたのですが、以前説明していたのですが、今回改めて説明いたします。

実は、近鉄大阪線の大本となる路線に関して、開通免許を取得したのが大正8年5月31日のことです。布施駅から八尾方面を経て、河内山本駅を経て、信貴山口駅まで建設することになります。ところが、この翌年の大正9年4月10日に、河内山本駅から分岐し大和八木駅に向かう路線を急遽建設させる計画していくのですが、ここで伊勢方面に行くことができれば、それを考えると大阪府河南東部を基盤を確保するためだったということもあります。そして、同じ大正9年4月10日、実はこの時、大和八木駅から宇治山田駅までの区間の電気軌道を開通させる免許も取得したことが、この後の戦略に大きく関わってきます。
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どういうことなのか、時系列で追っていきます。信貴線と同時に対応していた大和八木駅のルートは、王寺駅に向かうルートを検討していましたが、最有力となっておりました。そのため、大阪府内のどこを通って、王寺駅に向かうのかです。まず大阪平野を八尾方面に、それから、南東に入り、柏原市の河内国分駅を経て、大和川沿いに向かうというルートでした。そして、八尾駅までが大正13年10月31日に開通、奈良県内は橿原市側から建設が開始、大正14年3月21日に大和高田駅から大和八木駅までの区間が開通し、両側から路線の開通工事を開始したわけです。そして、八尾駅から恩智駅が大正14年9月30日に開通させます。なんと2年で、3区間を開通させるスピード開通させたということになりますが、残る区間は恩智駅から、河内国分駅を経て大和高田駅までの区間です。これが完成するのは、元号の改元が行われた後の昭和2年7月1日です。ところが、そこからわずか5年をかけて、宇治山田駅まで開通させるのですから、驚きですよね。
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さて、ここから5年もの間で、どのようにして、大和八木駅から三重県伊勢市宇治山田駅まで開通させたのかです。初めに大和八木駅から桜井市の桜井駅までを開通させることに注力を注ぎます。実は、大正9年4月10日に取得した大和八木駅から宇治山田駅までの区間の足掛かりとするためです。そして、この後で出てくるのが、直通子会社となる「参宮急行電鉄」の創設です。この企業はもともと同じ構想を計画していた「大和鉄道」と呼ばれる会社が自力で、路線を建設しようとしていたのですが…、自力での建設ができないと判断し、大阪電気軌道の役員を発起人として別の会社を設立させることとなりました。
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そして、昭和3年5月にその免許を得て、桜井駅を起点として、三重県伊勢市の宇治山田駅までの区間を建設する「参宮急行電鉄」ができたのです。しかし、この後、桜井駅からの建設区間に関しては、次回の記事に回してお話します。
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私を乗せて疾走する宇治山田駅行特急(乙特急)は、奈良県を出て三重県に入り、名張駅、伊賀神戸駅、榊原温泉口駅と停車していきます。次の駅は、松阪市の伊勢中川駅で、ジャンクション駅です。駅の構造は、ものすごく複雑に絡み合う配線となっているのですが、これは、大阪と名古屋を結ぶハブとして機能するために、「参宮急行電鉄」が作った構造だったといわれております。

そんな中で、伊勢市駅に向かうのですが、それは、次回に回します。

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