朝熊をかけねば、方参り 09

本日の話題の2本目は、「鉄タビ(臨時便)」から「伊勢初詣旅’20」の記事です。

さて、山を登り続けて、2時間ですが、
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朝熊山を登り続けて、ご来光を拝める形となったのですが、
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しかし、時間が遅すぎました…(^^;。ご来光を拝むには、朝熊駅に到着したのが遅かったというのが、すべての原因というわけだったのです。そして、そのまま金剛證寺に入ります。
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実は、金剛證寺は臨済宗南禅寺派の寺院として建立された寺院で、もともと南禅寺は、室町期の臨済宗派閥の中では、別格の上に、頂点に位置する寺院ですが、寺院としては臨済宗が入邦するよりも600年も前に、創建されたと伝えられております。
もともと、欽明天皇(聖徳太子の父)が僧侶の暁台に命じ、明星堂を建立されたのが始まります。
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しかし、実際の建立されたのは平安時代では、天長2(825)年となり、空海の真言密教の道場として再興されたという話が出てきます。
その後、実際に金剛證寺は14世紀に至るまで衰退するのですが、明徳3(1392)年に至って、鎌倉建長寺派に属する東岳文昱が再興に尽力したと伝えられております。
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そして、文昱を開祖とした禅宗に変更する形としたのであって、それが現在の臨済宗となった大きな理由となったわけでした。
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まあ、今の姿になったのは、江戸時代に入ってからです。そして、「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びついたことにより、この言葉が生まれるのです。それが、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」となるのですが、この言葉は、伊勢神宮の参拝と結びついたことで、
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実は、戦国時代の九鬼氏の遺品も残されていることから、実際に九鬼氏の菩提寺となるのですが、
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それが、こういった形で金剛證寺を訪れることができたのは、運がよかったのかもしれません。ただ、下に降りる体力が残っていたわけではなく、
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ここから、五十鈴川駅を経由して、賢島駅に向かいます。次回は、山を下りて賢島を目指す旅となります。お楽しみに。それでは。

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