「ALS」、「嘱託殺人」、命を左右しかねないのは…。 (訂正版)

本日の話題の2本目は、昨日から引き続き、「今の社会はどこへ向かう」の記事です。

さて、今回は、難しいお話ですが、昨週の木曜日となる23日(海の日)に、京都市中京区でALSの女性患者が、なくなるという事件が発生しました。記事を読んだだけでは、「どこに問題があるのだろう?」と驚くだけかもしれません。

ただ、今回の事件ですが、「このALS患者を殺害した」というのが正解で、実際には、被害者が被疑者に依頼をかけた「嘱託殺人」だということです。その「ALS患者」が、実際の殺害を依頼した人物(二人いた)は、なんと医師であったこと、それにお互いSNSで知り合ったことです。今回は、その「ALS患者の死」が投げかける問題とは何かについて考えてみようと思います。

そもそも「ALS」というのは、「筋萎縮性側索硬化症」の略称であり、筋肉が徐々に機能しなくなってしまうという病気です。ただ、原因はわかっていないうえ、当然のことながら治療法がいまだに見つかっていないわからないことだらけの病気ともいえます。

しかし、
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すべての「ALS患者」は、長い長い終わることがない戦いとなるわけで、「ALS患者」にとっては、苦しい日々が続くといえます。実は、人工呼吸器をつけるか、つけないかという点で、「生きるか」それとも「死ぬか」の選択を迫られることになります。実際に言えば、法律的および社会的に「ALS患者を守る」という意識が薄い、言ってしまえば難病といえるマイノリティーに対して、マジョリティの健全な人々は、あまり関心を寄せない、それが、「嘱託殺人」を生み出した温床になるといえます。
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現在、国会では「尊厳死」および「安楽死」に関しての議論が行われているとのことですが、それは「死ぬ」ことを前提とした議論で、「生きる」ということを前提とした議論がないのが現状です。実際に言えば、わたくしの親しくしている「しまかぜ」氏にも、彼女も難病を患っていますが、その話とも関係します。

実は、難病を理解するには難しいですね。彼女はアトピーのひどいものと例えるとわかりやすいですが、自分の持っている防御組織が暴走を起こし、自分の体を壊すという難病と闘っております。実は、「ALS」と同じ点は、どちらとも「命にかかわること」ということになるわけです。

そこで考えることは、「死ぬことを前提とした議論」ではなく、「生きることを前提とした議論」に変える必要があるとのことです。

ということで、本日は今回の記事は以上となります。次回をお楽しみに。

(一部、訂正いたしました。)

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