真夏の鈴鹿線に乗り込んで…。02

本日の話題の2本目は「鉄タビ」で、「真夏の鈴鹿線に乗り込んで…。」の第2回となります。

実は、わたくしが乗車している107列車ですが、
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大阪難波駅から40分、奈良県と三重県県境を越えて、名張市内に入ってきました。旧国名で言いますと、伊賀の国、かつて忍者の地で有名となった場所です。わたくしも、8年前に伊賀上野までの旅でご紹介したことがあります。さて、今回は、特急の歴史を繰り返すのではなく、列車旅でもないちょっとした話をいたします。
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この伊勢街道に関して、有名な落語があります。『伊勢参宮神乃賑』です。この地域は、大阪からのお伊勢参りをする人たちにとっては、暗峠から奈良を経て、天理を経て、長谷街道を東に進むルートが有名です。この奈良から天理を経由して桜井を結ぶ道が、「野辺の道」です。この道は、奈良と伊勢を結ぶ道となるわけですが、鉄道では関西本線のルートや、伊勢方面に向かうJRの路線は、どちらかというと、名古屋駅から建設を開始していて、野辺の道を通らず北側から奈良県内に入り、そこから南に進路をとるというルートを選択しておりました。それが、奈良県の南東側からは、いったん奈良市内に出て、そこから北側の加太峠を越えて、亀山市に入ると、そこから南側に回るという、う回路を選択しているのが特徴だったわけです。
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となると、当然のことながら時間がかかってしまいます。そのため、山を抜けるルートとして、近鉄が選んだのが長谷街道を越えるルートです。実は、『伊勢参宮神乃賑』でも三本松の関で、「こいつぁ、ええ」という言葉を禁句だといわれて、うっかり言ってしまうシーンがありますが、近鉄のルートと重なるわけです。
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そのため、高速路線として運転できるようにしたのが、昭和3年の参宮急行の本線が開通してからで、名張と伊賀、さらに青山町を一気に通していくということも目的としておりました。
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ちなみに、それを名古屋方面にも生かしたのは、近鉄が大阪と名古屋を結び、JRに対抗することができた理由というのは、地域の人々に密着した要望があったということも、あったといえます。
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さて、津駅を過ぎ白子駅に向かいます。
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白子駅で列車の乗り換えとなりました。この時点で1時間後で、
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ここから、四日市駅行普通に乗るのではなく、
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名古屋駅行き急行に乗り込みます。

ということで、次回は鈴鹿線を乗りとおします。ということで、次回をお楽しみに。

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