短い都人の旅 03

本日の話題の2本目は「鉄タビ(臨時便)」から、「短い都人の旅」の第3回です。

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さて、私と「しまかぜ」氏は建仁寺にいるのですが…、この建仁寺の宗派は、臨済宗という仏教の一派であり、禅宗の一つで同じ禅宗の曹洞宗とは異なる部分があります。何が異なるのかといいますと、曹洞宗は只管打座と呼ばれるのですが、自らの心を無にし、座禅に集中することを目的としているのに対して、臨済宗は、「公案」と呼ばれる真理の探究を中心としたものです。では、大本の禅宗は、どういう経路で日本に入ったのか、それが気になりますね。
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実は、仏教の伝来には、必ずといっていいほど、中国の王朝が関係しているころが多いのですが、仏教の留学で中国に渡った栄西禅師は、「南宋」で禅宗の修行を行ったことが知られております。実は、曹洞宗の道元も同時代に「南宋」で修業をしたといわれております。ただ、中国の中でも臨済宗は、座禅宗派の中では筆頭格に挙げられています。実際に座禅思想は、中国南北朝時代の達磨禅師を開祖としますが、臨済宗の起こりは、唐代に少し下っていきます。臨済宗が開かれる直前に、廃仏が行われたことから、その復興も含まれていたと考えられております。
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それで、栄西は仁安3(1168)年と、文治3(1187)年の2度、入宋を果たします。この間は激動の時代であったことは否めませんが、特に源平合戦前後で大きく、政治体制が変化している時代でもあるわけです。そのため、栄西における任務は、天台宗の復興のみならず、日本の仏教の復興が目的だったのでは、と考えてしまいますね。
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実は、この曹洞宗の開祖道元禅師も、実は臨済宗で学ばれていたことがあり、そのあとで、入宋し曹洞宗日本に伝えました。
その点で言うと、栄西と道元は、実質上は遠い遠い師弟関係にあるということです。まあ、栄西と道元は活躍時期が100年ほどずれていることを考えると、栄西から直接教わったとは考えにくいですが、実際に、道元はこの「建仁寺」で修業していたということもあって、建仁寺がそうなります。
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そして、この「建仁寺」は重要な役割を果たしていたというわけです。
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実際にこの壁紙に描かれている風景を、見ながら思索にふけった僧侶がいたかもしれませんね。さて、その僧侶の中には、「とんち」で有名なあの人も含まれております。そのお方は、「とんち」ときたらご存じの方も多いのでは、ということで、次回は「とんち」の正体と、その人の正体は…という副題で記事を書いていきます。

次回をお楽しみに、それでは。

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