タイトル:紅巾乱戦勃発 23

この覚悟を決めた一美と、それに反応する人物たちがいた。それが、福州の勇策と、雲南州の宗弘である。彼らも同じ考えを持っていた為か、南方遠征に関しては、否定的な立場にあった。
しかし、それを実行しようとする本国政府、それに嫌気がさし始めたのである。そして、できれば彼らの援助をしたかった。それが、流れとなり、国を動かす事につながると、考えていたのである。
しかし、呼応する人物が多くなるのは、それから時を稼がなければならなかったのである。それには、慶州の上杉家を取り込む、これが流れを変える事になるキーマンだと考えていたのは、どちらの勢力にも言えた。
だが、今の状況は、どちらかと言うと広州側にしてみれば不利であった。広州、福州など計4州の兵力だけでは、大波には対抗する事は出来ない。それに反乱の言うンが高まったとは言え、参加しているのはほんの一部しかいないのである。
故に、最初から手を出す事が出来ない状況下にいた。言えば、江戸幕府に立ち向かう長州志士たちに似ていると言えるのかもしれない。
しかし、一美はこの戦乱をいち早く終わらせるには、一旦自分が、相手側に投降し、乱戦を収めようとしていたのである。今のままでは、相手の思惑にはまってしまう。おそらく、真の目的は、広州などを鎮圧するためではなく、中華族に二度と立ち上がらせないようにするためだと、一美は読んでいたのである。
そこで、一美は、福州の勇策、雲南州の宗弘に対して、次のような書状を送った。それは、今後の自分たちの対応を示したものだった。
〈拝啓
何分、変わりはござりませぬか? 実は、『大波』政府軍が南方遠征を決断しましたが、我々の考えは、この決断は、見せしめと言う可能性が強いと考えられる上、どうやら、新帝即位の権威付けにしか見えぬものと、私には映りました。
故に、この事態を、如何に見るかは明らかであり、この事態がいかなる方向に向かうかは、私にも見当がつきませぬ。それで、この事態に立った理由には、我々の徴兵した2万人の兵力の武装を、解除すると言う事で決着するのが望ましいと考えております。
確かに、それでは我々の兵力が落ちるのは明白でありますが、彼らの目的があいまいになり、非難の種となりえるかもしれません。それから、広州を落とせたとしても、彼らにとっては、多くの課題を残した中での再出発となり、また、多くの国民が政府を見限る事になると言えるでしょう。
おそらく、その計画は失敗をする可能性も高いと言えます。故に、ここはひとまず抑えておくことが寛容かと考えております。
北田一美〉
一美は、その書を3通ほど認めると、1つを福州の勇策の元に、もう1つを、雲南州の宗弘に、最後の一つを広西チワン族自治コロニー州の同い年のある人物にその手紙を充てたのである。
その人物は、一美の一つ年上に当たる千堂伊織であった。その名前は聞いていなかったが、そこでは実力者と言える人物で、本当は100歳ほどになっているのではないかと、言った噂がある。
その男にも、書状を当てたのである。そして、この書状を読み、多くの人物たちを集めたのである。その人物とは、補佐の東儀征一郎、神谷撫子などが集まって、対応を協議し始めた。そこにいた中に、一美と同い年の千堂瑛里華がいたのである。また、雲南州では、地下組織として、宗弘に協力する人々が現れていた。
まず先に、広西チワン族自治コロニー州の千堂伊織から、紹介しておきたい。彼は、100歳ほどになると言ったのだが、それは噂ではなく事実と言われていて、彼の自伝で語った事には、彼自身は「吸血鬼に憑りつかれた」と語っており、吸血鬼となって生きていたからこそ、時代の変化をみる事が出来たと言うのである。
それが本当かどうかは、後世の歴史家に任せる事にして、その彼らが話し合ったのが、この書状を読み解いたうえで、決起するべきか、せぬべきかであった。
それで、意見は真っ二つに割れたのである。まず、同い年の千堂瑛里華が、決起に賛成する意見を述べた。それに対して、補佐として東儀征一郎は時期尚早だと反論したのである。
実は、一美の意見は時期尚早だと言いたかったのである。つまり、今は時の流れを造る時期ではないと述べたのである。それに対して、同い年でこうも違うのかと思えるが、実際に、千堂瑛里華の述べた意見は、時期に乗っていくべきであると言う事を述べたのである。
「つまり、この反乱がおきている事実は、『大波』本国政府が、国民からの信用を失っている事に他なりませぬ。故に、我々は、この時代の流れに乗り、決起するべきです。」
それに対し、東儀征一郎は、
「それでは、我々がその後に為すべきことは何か、それが、定まっていない中で、決起してしまったら、徐々に足元が崩れてしまい。それがどうなるのか、予想しているのですか?」
それは予想してみれば、必ず『大波』に屈する。それが、この時点では予想されていたのである。しかし、3年、その先まで考えると、『大波』の政治状況がどうなっているのか、時を稼ぐ事が今は必要だと彼は説いたのである。
「それなら、今の状況より、よくなるのですか? 悪くなるかもしれないのではないのですか?」
瑛里華がすかさず反論する。だが、
「いえ、それは異なると私は考えております。今や、『大波』は、今は、じり貧ではないと言えます。しかし、このままでは確実に息が切れると言え、それはそう遠くありません。故に、ここはじっと待つと言う事です。」
征一郎は反論した。確かに、それは正しい事になる。だからと言って、そのあいだに何をすればよいのかである。
そこで、鍵が雲南州の動きだったのである。伊須磨射宗兼と野上宗朝の2人が重要な役割を果たす。野上家と伊須磨射家はもともと、『南陽』から『斉』に至る時に、君主と家臣の関係である。宗弘が、その2人の名前を知っていた。なぜなら、大和家も実は、『斉』帝国を建国する時の家臣だったからであった。

宗弘は、闘志を燃やし始めていた。これは、誰かの讒言ではないか、宗弘はアマルフィが「救えなかった」の理由は何だったのか、アマルフィが止められなかったのは、1人の権威のある人物が、強硬に宗弘たちを左遷させたのではないのか。
宗弘は、そう思った。しかし、今はその事をしない方が良いと考えていた。そこで、一美の広州、勇策の福州、そして、伊織の広西をどう結ぶか、それに、どうまとめるのか2地域に分け、そして、広州に伊須磨射宗兼が行き、野上宗朝が雲南州に行く事になったのである。
その野上宗朝が、雲南州の宗弘とあったのである。宗弘が、
「あなたは、今の状況をどう考えるのか。」
と聞いたのである。だからこそ、
「私は、流れを始めていく、その始まりは今ではないのです。そして、今は、ではなく、数年後の可能性が出てきます。それゆえ、おおくの出来事が多発しようとするのは、今ではないと考えております。」
それを聞いて、宗弘は頷いていた。そして、考えて込んでいた。だからこそ、この時代を渡りきるためには、連携することではないか。だからこそ、そう言う事だと宗弘は考えた。

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