タイトル:紅巾乱戦勃発 25

一美たちの動きは、このようになっていたが、雲南州でも、同じ動きの模索が始まっていた。しかも、彼らの考えも一美たちと同じであったが、こちらの方はすぐ近くに、益州の監視の目があったのである。
それで、一美と会う事になったと聞いて、それに関して、どうしようか迷っていた。それで、宗朝に聞いてみた。
「そなたの意見が、聞きたくて呼んでみたのだけど、いいかな?」
宗朝は頷いて、
「おそらく、一美様の事では?」
と逆に聞いてみた。それに宗弘は頷いた。確かにそうだ。それで、どうするか悩んでいたのである。
「そうですか、要請は先方からですか?」
それを聞いてみると、頷く、
「それなら、アプローチをする事が必要です。そう言えば、一美様からも要請があったとお聞きしておりますよ。故に、受けられてはいかがかと、私はそう思います。」
宗弘は、宗朝の言う事に一理があると考えた。
「分かりました。それでは、どこで会うかを手配しておいてください。お願いできますか?」
宗朝は頷き、早速会場の手配と、宗兼に書状を送った。
その頃、宗弘と共に左遷された利宗と智光、そして、それと同時に左遷されたファーディナンドも、この状況に陥らされた理由に不信感を抱いていた。
どうしてこういう事になったのか、それは、仲間の処遇に他ならなかった。アマルフィ等の処遇は寛大なものだったのに比べて、厳しい判断が、宗弘の方には下されていたのである。だから、不満になっていたのである。故に、これをどうするべきか、考えなければならなかった。
さらに、この雲南州には、多くの反乱勢力があり、そのもの達に対しての対応に苦慮すると言う点から、今まで避けられてきた事、それらに対してのプレッシャーが、彼らの肩にのしかかってきたのである。
それゆえ、ストレスがかかってきていたのである。それにおいて、中華族である自分たちにもう施す事はなく、彼らの自由に任せるのが、最良と言うものではないかと、考えるようになった。
それに、故に、彼らも、独自の道を歩もうと考えていたいいタイミングで、入った話こそ、「一美との会談」だったのである。
それで、宗弘と利宗は、すぐに書簡を送り一美との連絡を取る事が出来るかを聞いてみた。そして、この事態を見守るという姿勢をとっていた。

それに応じて、チベットは、反乱勢力との結合を模索し始めていた。実は、彼らが主に考えていたのが、中元地方の『紅巾』軍と連絡を取ろうとしたが、この前の戦闘において、大打撃をこうむった『紅巾』軍に対し、支援を求めようと立ち上がるところも出てきた。
しかし、チベットでは、そう言った得体のしれない軍隊に援助を行うのは適当ではないとの事から、見送りと相成ったのである。
それゆえ、援助を断たれた『紅巾』軍には気の毒であるものの、致し方のない措置であった。それに、この事態において後方のイランイスラム帝国が、軍を動かしている可能性もあって、この状況では、動けないと言う、やむ負えない決断をした事によってであった。
それでも、この事態を如何にして回復させるか…。実は、それを模索して、中華地域南部の一美たちに接触を求めて来たというのが、一美たちの申し入れを許可すると言う事態に発展したのである。
故に、一美たちは、グッドタイミングでこの申し入れを出した事になる。しかし、チベットでも、チベット族と呼ばれる中華族とは異なる民族だが、中華族との結びつきは強く、その昔から、チベット民族に新しいコロニー地域を与え、耕作などに従事できるように環境を整えた後、移住させていったと言った話があり、それにおいて、こんな言葉を送って、結びつきを得たと言う。
「中華族からの贈り物は、新しい環境と、それに比例する人々の温かさなり。」
チベットコロニーの初代領主ダライ・ラマ20世から名前を改めたダライ・T・ラマが語った言葉であり、この言葉から、初代代王の高田ヤマトや、中華族に対しての温かな関係が見えてくる。
その後、神楽香月が初代大公となる「秦」では、その自治区(チベットは、この当時自治区と称していた)に対して、国家としての自立を確約すると明言した。これによって出来上がったのが、現在のチベットコロニー王国で、この時も初代王となったダライ・ラマ1世(正式名称、ダライ・S{ソンツェン}・G{ガンポ}・ラマ1世大王)は、
「秦の人々の心の温かさは、我々を照らす太陽であり、その太陽に、我々は感謝をし、その人々と共に、この国を立ち上げてくれた。人々に感謝を申し上げたい。」
と語っている。
これからも分かるのだが、彼らにとって、中華族は、自分たちを支えてくれた中華族を慕っていたのである。そして、いつかは、その想いに答えたいと言う事を熱望していた。だからこそ、一美たちを支援しようとしていたのである。

一方、対応を図りかねていた『大波』政府は、雲南州の動向に注意していたが、それと広州が連動し、さらにチベット、広西チワン州、福州とが連携しているという背景構造に、気付いていなかった。
しかし、現地ではそれどころではなくなりつつあった。『紅巾』軍から、書状が届いたのである。宛名は、一美にであった。
「一美様、書状が届いたとは本当ですか?」
一堂に集まった家臣たちから、問われた一美は、
「その通り、だが、この書状は破るべきだろう、これを所持しているとなると、後でえらい事になる。だから、この事は、伏せるようにしてください。」
一美の言葉に、家臣たち一同は、無言ではありながらも頷いた。それは、紅巾軍とは、全く違う立場で戦うと言う事に近いものだった。
そこで、返書もしないで、一美は、その手紙を破棄したのである。それゆえ、返書もないと言う事は…、『紅巾』軍から攻撃を受けると言う事に他ならなかった。そして、戦闘に突入する可能性が大きくなってしまった。
これは、州政府にとっても、痛手になってしまったのである。また、商団にとっても大きな痛手となってきたのである。
今の兵力18万人で、『紅巾』軍はその倍に当たり、まともにぶつかれば勝ち目はない。それゆえ、多くの戦死者を出すのは明白。
「どのように、どのようにすればよいか…。」
武彦は悩んでいた。すでに病を克服した彼は、再び、商団の長として、職務に励んでいた。そのとたんに、これである。
「父上!」
一美が、武彦に顔を向けた。
「恐れながら、申し上げます。越南から軍を借りるように、州政府に働きかける事が寛容と存じます。彼らは、『大波』本国政府とは懇意の仲、故に、南方方面が危ないと見るや介入することは、間違いないでしょう。しかも、反乱軍を始末するとなれば、本国政府にとっても愁いを発つ事に他なりません。」
確かに、それはそうである。越南軍の力を借りれば、なんとか、反乱軍の勢いを止められるとみてよい。しかし、一美たちは、『大波』本国政府の本当の狙いが、どこにあるのか、分かっていた。おそらく、矛先は自分に向くはずである。そして、その時にいかに対処するか、それが、一美に与えられた試練ではないかと、この時の一美は考え始めていた。

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