タイトル:「広州軍」北田一美 12

その気づいていなかった事は、合肥合戦にて起きた事そのものだった。それが、結果が予想を覆してしまい。なんと、『紅巾』軍の大勝利で幕を閉じたのである。
それに因り、『大波』軍の当初の目的が、遠のいたのである。要は、それが広州、広西、雲南、福州連合と『紅巾』軍とを戦いに至らせる要因になるのである。
つまり、『大波』本国政府の影響力が弱まり、比べて、地元勢力が、力を伸ばすという構図、これは、あってはならない事態と言うべきであった。
討伐軍は上海を中心としていたのだが、だからと言って、『紅巾』軍の勢力には、その主力は眼中になかったかのように、撃破したのである。
まず、上海の州軍は第1、第3軍などで構成されていたが、それを小さな兵力でどうやってと言うのが、当時の一般的な『大波』国民の見方である。また、軍の数は『大波』政府軍が10万に対して、『紅巾』軍はその半分の5万を動員している。
だが、少ない軍で戦術を駆使して、『大波』軍は攻め込まれる立場に立ったのである。いわゆる、罠に入ってしまったウサギのごとしである。それゆえ、『大波』軍は混乱していたのである。それが今の状況を呼び起こしたのである。
この状況を、一美たちはチベットで耳にしていた。一美の目は、鋭くなっており、まるで、獲物を鷲掴みする猛禽類の目になっていた。
(これでは、広州にまで波が及ぶかもしれない!)
一美は、その危険性をどう除去するか、それが一美たちの考えている事だった。だからと言って、それが直接、激突するかと言う事になると言えない。それゆえ、一美は、この状況を如何にしてみればよいのかと、一美は考えてしまった。
福州はすぐに、それに関する対応をとっているだろう、それに、一美たちは、それ以外の事も考えなければならない。例えば、『大波』本群はどう動くか。それを考えなければならない。
そこで、一美たちが多くの事を考えるようになっていた。福州の人たちは、どうしようと思っているのだろうか、それが気になる所である。
その福州でも、勇策たちは、この知らせに驚きはしたものの、対策を如何にするか、それを協議していた。
「もし、上海も占領され、そして、福州になだれ込んだとなると、どうなるのでしょうか?」
と高志が聞いていた。合肥合戦にて、形勢が逆転した以上。彼らは、威勢を及ぼす為に、福州などに圧力をかけてくるだろう。そうなると、多くの周辺諸国から、彼らは非難を浴びかねない。
それを『大波』は狙っているのではないだろうか、それを啓宗は、考えるしかなかった。
「それより、一美様は何を考えているのか、我々も、決断するべきかもしれない。」
啓宗は、そう言葉に出して、自分たちを奮い立たせた。
「やるべきです!」
と直胤は、啓宗の意見に賛同し、すぐに勇策の元に、文書を送ったのである。その文書は、次のとおりである。
〈拝啓
揚州の反乱軍は、直ちに軍を南方に向けて動かそうとしている可能性が高く、直ちに、戦闘部隊を江福境界付近の軍隊を終結させるべく、許可を求めたく存じ候。
                      敬具〉
そいう事になったのである。これを広西で受け取った勇策は、その事態をどう考えるのか、早い対応が求められると、勇策は考え込んだのである。
「今は、早くこの事態をどうするのか、それが、このような状況ではないかと思えるのだが、よし、早速提案しよう。」
勇策は、結論を出して、会議に臨む事にした。

それより、この事態をどうしようか、考えているのは、勇策だけではなかった。会議に出席していた穂積、伊織、宗弘の3人も至急防備を固めないといけないと、いけないと考えるようになってきたのである。
それより、その軍の数が、いかほどなのか、それが気になる所である。しかし、今の所、兵力を動かすのに苦労しているとの見方もある。どの情報をいかに的確にするか、それが問題なのだが、今は、どのような情報が正しいか判断する時間はない、積極的に受け入れなければならなかった。
(このままでは時間がない。何時、広州に『紅巾』軍が乱入するか、分からん。この時に姉上は、チベットにいる。父上は如何にするだろうか?)
穂積の脳裏には、そんな不安が渦巻いており、一美や武彦のいない中で、自分の育った場所を守れるのか、不安に陥っていた。そして、州の防衛強化を決意して、ラフェリアに至急の文書を書き送った。
〈直ちに、実行に移されたし、用件は、州境界の防衛強化である。従って、迅速に行う事を望むべし。〉
とつづり、それを電波で飛ばしたのである。
それに雲南州の方にも同じ文言を出して、防衛面の強化に乗り出した。そして、広西もこれに応じて、防衛面の強化を急ぐ事になった。従って、4州が共同で防衛に関する統一した目標を打ち出すべきだと考えるようになっていた。
それは、主に、北の情勢の悪化に対応して、自分たちも自衛するべきである。と考えるようになっていた。

それよりも、北の混乱は、収まっていない中で、北京では大変な事が起きかけていた。この事態を重く見た『大波』本国政府は、ついに、大規模な討伐軍を山東半島に投入する決断をしていた。その先頭にアブドラ・アル・シラム・ムハンマドが立つことが判明したのである。これが事実なら、本国政府も、ついに本格的な掃討作戦に、打って出ようと言う意思を示したようだ。
それに対して、民生の意見を聞くべきであるとの声は、日増しに高まりつつある。しかし、アブドラ・アル・シラム・ムハンマドは、今回の場合は、どうしても武力にて抑える選択肢しかないと断言したのである。これにより、態度を硬化させたのが、中華系の官僚たちであった。
そんな中で、さらなる衝撃が加えられたのである。つまり、この反乱の首謀者は誰であろうと、斬首刑に処すとの声明が、発表されたのである。それは中華系の官僚の怒りに油を注ぐ結果になった。
それによって、今回の事態は、即、広州などにも伝わったのである。それはチベットにいた一美の元にも届いた。
「これでは、反乱を起こした首謀者は、何の弁明の機会も与えられずに、打ち首か!」
驚くのも無理はなかった。これでは恐怖政治ではないか。それに対して、皇帝は、何の発言もしていない。これは、一美たちにとってみれば、大変なことだと、思うしかなかった。
それに比べて、皇帝を退いた樋賦琿はどうしているのか、全く情報がないままであった。これは一体全体、どう言う事なのか、上皇となった彼女が、何かしなければならない。諭すなり、司令官を変えるなり、事態を収束に向かわせなければならない。
それを黙って見ているのか、そう、実は賦琿はここにはいなかった。つまり、ここにいないと言う事であり、それが、このような混乱に手が出せない原因となっていた。では、どうして、樋賦軍はいなくなったのか、それは、軟禁されていたからである。正確に言えば幽閉と言うべきかもしれない。しかし、当の賦軍は、そこにもいなかった。それは、この場所を抜け出していたのである。そして、とんでもない所にいたのである。

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