16年前を繰り返す気か!

なんと、緊急の話であるが、鳩山首相が辞任することになった。どうしてなのかは、難しい質問かもしれない。社民党の離脱等によって、行き詰ったのではないかと考えることがあってもよい。しかし、鳩山首相と同じ事になってしまった人物がいる。今から16年前に時計の針を戻してから、考えてみると、この状態は細川内閣と同じような感じである。それがどうも気になっている。

それでは、この二つの政権後退からどうなったのかを、書きしるしておきたい。
まず、細川首相の場合、

平成5(1993)年 
8月9日 政権発足、社会党・公明党・民社党・社会民主連合・民主改革連合の各党派と連立政権
翌日 記者会見で先の戦争は侵略戦争と明言
10月11日 - エリツィン ロシア連邦大統領来日
11月6日 - 細川首相、韓国訪問し、金泳三大統領と対談。
12月14日 - 日本政府は各国からの米輸入を決定。(1993年米騒動)
平成6(1994)年
3月24日 - 参議院、衆議院の小選挙区比例代表並立制を柱とする選挙改革法案を可決(12月25日施行)
退陣
連立の一致点であった政治改革が曲がりなりにも実現したこともあり、政権は国民福祉税構想の頓挫以降急速に求心力を失っていく。早期からあった「一・一ライン」とさきがけ代表の武村官房長官との対立も、政権運営の手法や政治改革の方法などに加え税制改革をめぐって深刻化。武村は悪化が明らかになってきた景気へのてこ入れを優先し政治改革法案は継続審議にすべきと主張する自民党に同調し、幹部とも頻繁に接触していた。細川は、小沢の内閣改造断行・武村更迭の進言を受け、政治改革法案の成立を一区切りとして改造内閣を発足させる意向だったが、社会党が政権離脱をちらつかせるため3月2日に断念。

また、自民党は細川の佐川急便グループからの借入金処理問題を前年10月以来徹底的に追及し続けていた。自民党が予算審議拒否を行なったため政権は立ち往生状態に陥り、4月8日に細川が辞意を表明。細川内閣は4月25日の閣議で総辞職(親任式が同月28日午前8時55分となったため、それまで職務執行内閣として存続)し、約9か月の短命政権に終わった。

次に、
鳩山政権の場合、
平成21(2009)年
9月16日 - 衆議院議員、民主党代表の鳩山由紀夫が第93代内閣総理大臣に任命され、鳩山由紀夫内閣が成立。
9月24日 - 9月25日 G20
11月14日 - 11月15日 APEC
平成22(2010)年
4月13日 - 核安全保障サミットに鳩山が出席し、食事会で設けられたオバマ大統領と10分間の非公式会談で、アメリカのイラン制裁への支持を約束しする。また、鳩山総理が普天間基地移設問題を混迷させていることについて、オバマは鳩山に「(貴方は)信頼出来るのか」と強い不信感を表明した。アメリカ側の態度に驚いた日本政府は会談内容を文書に残さないようにした。
5月28日
普天間基地代替施設移設問題をめぐり、“辺野古移設”を軸とした政府案を決定。署名を拒否した福島瑞穂が消費者・少子化担当大臣を罷免された。この事務代理は、平野内閣官房長官が行うことになった。
5月30日
福島瑞穂の閣僚罷免を受け、社民党が全国幹事長会議で連立解消を決定。これに伴い辻元清美国土交通副大臣も翌日辞任した。
6月2日
民主党緊急両院議員総会で、首相辞任を正式表明。普天間問題の迷走と自身の政治とカネの問題を主な理由とした。小沢一郎幹事長にも辞任することとなった。
一部抜粋『ウィッキペディア「細川内閣」と「鳩山内閣」』より。

見たところ、16年前と似たような流れになっているのは目に見えている。だからだが、彼らの考え方は、どうなっているのか全くと言っていいほど、分からない。

では16年前はどうつながったのか…と言うと↓

平成6(1994)年
4月25日 - 新生党、公明党、社会党など連立与党、羽田孜を首班指名。二日後には羽田内閣が発足。
↑首相指名直後、社会党を排除した統一会派改新の結成が発表された(公明党は不参加)。これに社会党が強く反発し、翌26日に連立政権からの離脱を表明。
6月29日 - 自民党、社会党、新党さきがけが村山富市社会党委員長を首相指名。翌日羽田首相辞任などにより、村山内閣が発足。平成8(1996)年1月11日まで続く。

となっている。
しかし、今の状況はむしろ厳しいと思えるのではないだろうか。
それから考えれば、むしろ、いろいろと変わるのだろうか、それに期待したいのだが、この次の首相が誰になるのだろうか。全く分からない。私は、このまま、80年前の政党内閣制度の崩壊にもつながってしまうのではないのかと、私は考えてしまう。

さて、どう思いますか? 忌憚なき意見を求めたいと思います。

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