ラーメンって…。

歴史ものの中で、食べ物については、まだ「カレー」、「肉じゃが」、「蕎麦」しか扱っていなかったので、今回は誰でも好きな「ラーメン」と言うテーマを持ってきてみた。
だが、どこの食べ物なのと聞かれると、答えは日本と出てしまう。実は、どういう形で今のスタイルが確立されたのかを話していくと、なんとなくわかるかもしれない。

まず、ラーメンの元を伝えた国と言えば、中国であろう。実は、このラーメンの元を伝えた中国の麺文化は、意外な形でつながっていた事をご存じであろうか、実は日本にラーメンの元が伝わるのは17世紀、いわゆる江戸時代が始まるのが慶長8(1603)年の事で、徳川光圀が最初にラーメンを食したことが知られている事を踏まえると、少なくとも大名間では制限貿易が開始された寛永16(1639)年から20年後に儒学者が「明(おそらく「明」末期の動乱から亡命した可能性は高い、この当時の王朝は女真族の「清」である)」から亡命して、そこで披露されたと言う説があるとされている。
それから遡ること400年ほど前、中国は「元」のころに、マルコポーロが持ち帰ったと言う話もあったりする。だが、これは俗説とされており、紀元前4世紀のエトルリア人の墓から出土した遺物によって、その説自体は否定されている。
だが、同じ小麦文化だからこそ、このような話が出たと言っても過言ではない。

少しわき道にそれたが、この後から本題の「ラーメン」は一体どういう形で変遷されていったのかを見てみよう。

明治時代の神戸、横浜、函館、そして江戸からづ着く湊町長崎などに中華街が出来上がり、そこで南京そばを売り出したのが始まりとされている。ここで、この中華街を形成した民族は、純粋な中華民族の漢族ではなく、客家と呼ばれる福建省出身の中華民族、広東省出身の中華民族などで構成されているので、彼らは純粋な漢族とは言えないし、異民族とも言えない立場にあったとされている。おもに、現在の東南アジアの経済圏を握っている「チャイニーズ」は彼らの事であり、さらに、明治44(1911)年の辛亥革命を起こした孫文(1866~1925)も客家の出身とされている。
そして、日本にもラーメンが定着するのは、明治の終わりごろから大正にかけて、まず最初に浅草に「来々軒」がオープンしたのを皮切りに{明治43(1910)年→それから66年後の昭和51(1976)年に店をたたむ事になる}、大正3(1915)年には東京茅場町の「中国料理 大勝軒」がオープンする事になる。そしてスタンダードのラーメンが完成するのは、大正11(1922)年の札幌で、現・北海道大学正門前に仙台市出身の元警察官の大久昌治・タツ夫婦が「竹屋食堂」を開店した事に始まる。そこで働く中国山東省出身の料理人の王文彩が作る本格的な中華料理が評判となって店は繁盛し、常連客であった北大医学部教授(後の北大総長)の今裕(こんゆたか)の提案で店名も「支那料理 竹屋」に改名する。麺作りは初めは手で引っ張り伸ばす手打ち製法だったが、客が増えたため後に製麺機になった。当初、竹屋のメニューの中でラーメンは中国人留学生には人気があったが店のメイン料理ではなかった。そこで日本人の口にも合うようにと大久タツが店の料理人の李宏業、李絵堂の2人に相談し、2人はそれまでの油の濃かったラーメンから麺・スープ・具を改良、試行錯誤の末、大正15(1926)年の夏に醤油味でチャーシュー、メンマ(シナチク)、ネギをトッピングした現在のラーメンの原形を作りだしたのであった。
そして、全国に広がりを見せ、各地で現在一般的になったラーメンの基本型ができていったと言うのである。
語源では「ラーメン」自体が一般的なったのは、戦後の日清食品が開発した伝説の一品「チキンラーメン」によるところが大きく。戦後文化の象徴という面が大きい。

しかし、今までの歴史を見てみると、日本にわたって来た客家たちと、日本の人々の努力によって、築き上げた文化とも言える。それの最大の結晶と言えるのが、戦後の成長から30年経過したあの「カップヌードル」と言う事になる。
さらに、ラーメンの中間層とも言えるちゃんぽんは、中国料理の味を残しつつ、日本風に近付けた最初とも言えるものかもしれない。つまり、ラーメンとは、そう言った中ではぐくまれた日中の合作料理とみてもかまわないかもしれないと、私は考えてしまう。

皆様は、どう思われましたか?

この記事へのコメント