タイトル:「広州軍」北田一美 25

所が、『紅巾』軍は、そう簡単に攻める事はしなかった。それは、周辺都市を着実に調略すると言う事から、入った為に、力攻めをしなくても、都市を攻める事が出来るようになっていた。だから、これらの事を考えて見ていくと、無理に焦って、上海を攻める事をしなくても、よくなっていたのである。それで、今、できる事が何かを考えていくと、じっくり足を付けて動くと言うのが、前回とは変わった動きだったのである。
巷では、『紅巾』軍は、今までと違った形で軍隊を動かしていると、書きたてる新聞もあったようだ。
所で、この軍隊は、どうしてこのようにゆっくりと動いていたのだろうか、その動きの遅さも実は、一つの秘密があったと言われている。それは、彼らが多くの勧誘活動を行っていた事に、その理由があった。その地域で、若者たちを集めて、どう言った事をすれば、この『大波』は良くなるのか、それを話し合っていた。
つまりは、彼らの戦い方が大きく変化したと言う事になるのである。それにしても、この変容ぶりは、直接上海を攻めた時とは異なり、ある程度の余裕が出てきたのである。だから、彼らは自分たちで考え、その思想をぶつけていこうとしていたのである。それで、彼らは、どう言う議論をしていたのか、それが気になる所であるが、その前に、濡須口の街中はどうなっていたのかと言うと…。
濡須口では、多くの民が、自分たちの考え方を、『紅巾』軍の上層部に、求め始めていた。それは、一体どう言う事に当たるのかと言うと、つまり、多くの人が集まって意見を出し合う。民主主義共和制を導入しようとする動きが興っていたのであった。
汪叙経は、その中で、正当な最高権力者になる事を夢見ていたのであって、それは、今まで中華族の考えていた官僚による中央集権制とは異なる考え方であった。しかし、壮大すぎるその考え方で下手をすれば、実現できるのかどうかが不透明な部分も見え隠れしており、誰かに乗っ取られる不安も抱えていた。それは、この国家の中で、民主主義を唱えてしまうと、彼らは、どうなるのかを分かっていたのである。
多くの人々から、非難を浴びてしまい。ついには自滅するのが目に見えていたからであった。だからこそ、彼らはあえて、その事をどうしよう考えて、その実験を濡須口で始めたのである。結果は、彼らの予想していたとおりだった。
彼らの取り組みは、まだまだ浸透していなかったのである。それは、長年の王朝支配体制に浸透していた所であった。だから、この状況で、彼らが何を感じるのか、それは、人それぞれだし、それが理由なら、多くの人は、その考え方はそれぞれで受け止めるだろう。しかし、それが実際ではないとしたら、彼らは一体何をもとにして、どのような国を造ろうとしているのか、それが見えてこなかった。
実験をして、汪叙経がえた教訓は、次のようなものだった。
(今すぐの改革のような事は、できないと言う事だ。だからと言って、この根は着実に息づく土壌はあると思う。)
と考えていたのである。
まだまだ、民主的な流れに向かってはいない。それは彼も感じていた事であった。だからと言って、このまま、とどまる事も出来なかった。つまり、前に進まなければならないのであった。それが、彼らの目標となっていた。
それよりも、国家の事はどうでもいいのだろうか、そう考えてしまう。それでも、彼らの最初の目的は、彼らの掲げる理想ではなく、『大波』から人々を解放する事、それだけが先にあった。それに向かって人々と共に、歩んで国家を造ろうと言うのが彼らの考え方にあったのかもしれない。だが、それでは、内部で混乱が起こり、その混乱に乗じて、再びイスラム勢力が、この場所を席巻して来るのは目に見えていた。
それだから、今は急がなければならない。それが、彼らの認識だったのである。

一美たちは、その様子をどう見ていたのかであるが、期日は8月22日になっていた。
「攻撃するのが、遅くなっている。となると、じっくり締め上げると言う事か、それなら、彼らにとっては得意なはずだ。」
と一美が、地図を見ながら、ラフェリアに向かって言った。
確かに、ゆっくり動くと言うのは理解できる。それに、あせって、行動を起こすと言うのは禁物と言うのだから、
「それゆえ、新兵も集めているのかもしれません。多くの兵士たちを集めるのに、この濡須口の戦線で、いい印象を与えたようですから、集まりやすくなっているのかもしれません。」
それは確かな事であった。どうしてかと言うと、彼らが濡須口を占領した事で、多くの人々の支持を集めていたのである。占領地となった地域では、福祉などでの評判の良い制度が導入されているとの情報があったからである。
だから、今では、その医療制度を利用する人々が、増えていた。その理由は、平等であり、無差別に診療すると言うものであった。つまり、今まで、医療についても富の多いというイメージがある中華族からは、高額の医療費を請求し、イスラム教の方からは、医療費を請求するが、それは定額納めれば、免除されると言う変な仕組みがあった。
故に、彼らの制度は、腐りかかった大木と言うものだったのである。それが、彼らの導入した制度は、それに変わる制度として、受け入れられたのである。その為に、そのほかの制度も、多くの人々の努力などに因って、修正が加えられ始めたのである。
それに因り、士大夫と呼ばれる地主などを中心としたエリート層、いわゆる知識人が加わって、制度の改善に努めたのである。
その情報を把握していた一美は、これは、多くの人々の支持を集められると同時に、彼らが武装して、『大波』軍を攻撃したら、『大波』軍はひとたまりもないだろうと考えていた。
それほど、彼らの考え方が、浸透していくとなると、これは、混乱した世の中で、何を元にして、国家を動かすのか、それをしっかり議論する時が来たと、一美は考えていた。
「ラフェリア。」
一美は、ラフェリアに目を向けて、
「実は、我々は今まで、中華民族が政治の中心に、立てる事が出来る世の中を造ろうと考えてきた。それは大雑把なものだったが、この次は、本格的に制度的な議論を行った方がよいと思う。それで、そのほかの意見を聞いておきたいのだが…。」
と聞いてみた。ラフェリアは、
「おそらく、それぞれに意見はあると思います。例えば司法制度に関しても、それぞれの考え方に基づいて、何が良いのかを選別してみないといけない事が多く、それに関しては協議を断続的に行って、よりよい方法をとるのが一番かと考えます。」
と自分の意見を述べていた。確かに、ラフェリアの意見にも一理ある。自分たちの国家をどうするのか、それを具体的に話し合っていなかったので、その為に一美たちが、何をしようかと言う、ぼやけた目標以外にも、はっきりした目標が必要になってきたのである。
それは、今まで見てきたヨーロッパの憲法以下、司法、行政、立法のあり方を学んだ上で、一美たちが、この中華のどこにそれをあてはめるだけでなく、自分たちで噛み砕かせて、導入しようかと考えてきた結果でもあった。
例えば、医療の制度は、男女平等を基本原則とし、そのほかの人々に掛る医療費は、男女、人種、宗教の差別はなく高度になるにつれて、金額が上昇すると言う制度にしようと考えていたのである。

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