タイトル:「広州軍」北田一美 28

それから3日後、専門家が3人、広州に来たのである。その3人の専門家と共に、一美たちは、さまざまな憲法を手分けして解読していたのである。
その時、其の3人の専門家から指摘されたのは、この『大波』の制度は、元はイスラム法の法律に則って起草されていた事。そして、原理主義化した所で、彼らの法則によって、あおりを食ったといのが、彼らの考え方だった。決して『大波』の憲法が良くないというのは、後世に造られた考え方に他ならないと、断言したのも、『大波』帝国憲法から読み解いた事に他ならなかった。彼ら着目したのは、序文に書かれていた文章そのものであった。
〈我々は、出生、宗教、身分に違わず。法の下での平等を謳う也。我々の祖先は、遠く西の果てより出でて、多くの民に助けられて、今に至る也。〉
そう書かれていたのである。だからこそ、彼らはここまでもったのである。それを改めて感謝するしかなかった。
それ以外にも、この3人には、共通した認識は、宗教的な関係が何もなかった事が大きいと先ほど説明した。それ以外とは、歴史的に見ても、当時の国際法に則っていたと言う事がある。
それが、四民平等当の考え方が、その当時の国際社会の主流だったのである。それだからこそ、当時の世界では画期的な憲法だったのである。
それに、この考え方を早く投入したのが、この憲法だったのである。しかし、それが150年のうちに、歪んでしまったのである。
実際言えば、この時代にも生かせる憲法として、通用すると言うのである。これは意外だった。
「と言う事は、世界にも通用すると言う事ですか?」
一美は、その一人に聞いてみた。その男の名前は、今伸朋と言う人物である。
「そうです。この憲法は、世界に通用した憲法です。だからこそ、それに、今の解釈に加えていけば新しい政治体制の構築できる。故に、これが多くの国家で採用されるとなれば、世界的にも画期的だったと思いますよ。」
一美はそれを聞いて、
「それが、できると言うのなら、我々は何をすればよいのでしょうか?」
と聞く。対して、
「それは、私たちが、『大波』を順守し、誤った考え方を取り除く事が求められます。それゆえ、私たちは、実際の政治を行う立場にはありませんが、実際の生活でそれを順守する事が望ましいと言えます。ただ、今憲法を変える時に来ていると言うのは事実でしょう。」
と、時の流れには逆らえないと、今伸朋は述べるしかなかった。
それは、そうかもしれない。150年前に掲げた理想、それが、いつの間にか歪められた。この原因を解き明かすとしたら、宗教の対立が作用していた可能性があったと言っても、過言ではない。
それに、10年ひと昔と言うが、このひと昔前でも、世界情勢は動いている上に、国家の考え方や君主の考え方が大きく異なっていると言う点は指摘する事は出来る。
ただ、この時点で、周辺国家がアジアの主導権を握るのにしのぎを削っている時代では受け入れられないと一美は考えていた。
それゆえ、今の状態で『大波』が生き残るには、一美たち等の若者が、自分たちの国家について的確に論じそれに対して、何ができるのかを考える事が、重要だと言う事であった。
一美は、どうすれば、この国家を変える事が出来るのだろうかと、考えあぐねていた。

上海を防衛のために、『大波』政府は、『紅巾』軍の本拠地徐州になだれ込んでいた。だが、『大波』軍の中で、「内紛」が起きた事によって、前に進む事が出来なくなっているのである。
それだけではない。彼らは必ず、上海の奪還に向かうはずである。それゆえ、上海に対する『紅巾』軍の攻撃は徐々に強まろうとしていた。そんな中、上海から脱出する住民たちを、福州と広州に流れ始めていた。
そんな頃、福州では、孫嬪達が情報収集に追われていた。なぜなら、上海から来た人々から、話を聞きだしていく作業を始めていたのである。
だからと言って、1人1人から聞いていくのは、数が多く、車いすが壊れるまで、走り回ったのである。
「勇策様、おそらくですが、上海からの難民は数万人に上っている事が分かっており、多くの話を聞くと、彼らは民主主義を、押し進めている事が分かってきました。それゆえ、彼らは新しい考え方を、中華族に浸透させようとしています。それゆえ、時代の最先端に行こうとしているようです。ですが、多くの人々は受け入れていないようです。」
それは、今回難民騒動で、啓宗たちも走り回っていたのである。
「それより、『紅巾』軍の上海攻略戦は、時間をかけているようです。まず、周辺の南京等を攻撃し始めております。地元の勢力を取り込んでいる勢いで、上海を攻撃すると言う事かもしれません。」
啓宗の報告によると、こう言う事だった。つまり、彼らのやろうとしているのは、上海の周辺都市を収めている部族たちを量略し、攻撃態勢を徐々に固め始めていたのである。
一美たちも、その情報を仕入れている可能性があって、攻撃を開始しようとするのは、それから少し後になるだろうと勇策や、一美たちは考えていた。

その中で、一美たちは、憲法をしらみつぶしに調べ上げていた。それから、その憲法の中身を考えていくと、だからと言って、憲法の考え方をどう見るべきか、それについての会議が断続的に開かれていた。
「おそらく、ヨーロッパの考え方は、豪族と言うくくりで考えるのではなく、国民と言う考え方が、中心にあると考えられます。」
今伸朋も、その点について指摘していた。確かに、一美たちはそれをどう考えているのか、
「私は、考えている事と言えば、多くの民が中心となり政治、経済を行うと言う、考え方を根底にしております。つまりは、私たちは、ヨーロッパ諸国の考え方に近いのだと思えます。」
と述べた。彼女はヨーロッパの最新の考え方に、則って、新しい秩序を造るのではないかと、今伸朋は思うほど、力強い言葉だった。
それで、家臣である兼人、昭代、宗治、一光は、どう言ったのかと言うと、まず、兼人は、
「私は、民のままでも通用すると思います。ただ、いきなり、国民と言うくくりを持ってくるのは、早すぎないかと考えてしまいます。」
と反対意見を述べた。また、一光も。
「私の意見も、似たようなものになるかもしれません。国民意識を持つと言う事は大切かもしれません。しかし、国民と言う、言葉の種を植えたとしても、種から芽が育つかは分からないですし、それをするのだとしたら、政治体制自体を変える必要性があります。それに因り、経済体制も一から見直さなければなりません。」
と時期尚早だと言う意見を述べていた。
確かに、国民と言う意識はこの国には低いのかもしれない。それが、2人の反対意見にも表れているのは、仕方のない事だった。

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