尖閣諸島の一件…結局うやむや?

何が起きたのかは、もうお分かりの方が多いと思います。
尖閣諸島で起きた漁船と、海上保安庁巡視船衝突事故(事件)は昨日に入って、いきなり急展開を見せ、船長釈放と言う事態に発展しました。

これを、いろいろと視点を変えて考えてみると、台湾出兵{明治7(1874)年}の話が頭をよぎってきます。なぜかというと、尖閣諸島のおもな問題は日清戦争の前にまでさかのぼることができるというのです。

まず、台湾出兵の概要は、宮古島及び八重山諸島の住民が、年貢を収めた帰り、暴風雨(おそらく台風にあったと考えられる)に遭遇、難破して台湾に流れ着いた事が事の始まり。その中で琉球側の住民(66人が上陸したというそうです)が現地住民に殺害されると言う事態が発生し、それが結局、日清の衝突すれすれ、つまり、一触即発と言う事態に発展するという事に、しかし出兵した後、結局、日清戦争でこの領有権問題は決着を見る。

実は、台湾出兵では「沖縄帰属」が問題と化し、日清戦争の前後で、領土領有権が決着を見たと言う事になります。ですが、

琉球出身の住民が、居住していたのは明治28(1895)年1月14日に領有をしたと言う事が、台湾は「下関条約」において締結された不当なものと訴えている(中華人民共和国政府もこれに同調しているものと思われる)。しかし、それから足掛け45年ほどしか定住していない。

しかし、この地下に、石油が埋蔵されていることが判明した昭和40年代以降、領有権を中華人民共和国、中華民国の両国が主張し始めた。

となるわけです。
所で、今回の事件で明らかになったのが、中華人民共和国政府は、「尖閣諸島は日本に帰属することを認める」と書いていた事です。

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