タイトル:広州迎撃戦 03

その部隊に関して、答えは、そのレーザー砲に対する射撃を抑制する為に、盾となって守っていたのである。だが、それも元も子もなく、打ち破られてしまう。これでは、と思うのが、彼らの心理だが、彼らも必死になって攻撃に対応していた。
「これでは、事態は、大きく変わりそうな雰囲気だ。皆、気を引き締めていきましょう!」
そして、一気呵成に攻めるしかないと『紅巾』軍は攻撃を開始していった。
〈困ったぞ! これでは、相手は何も考えずに、軍を進めているぞ!〉
そう、誰が起こしているのか、こういう事態をどう考えているのか、想像はできない。クラウゼヴィッツの戦術論では、相手の情報戦について、次のように述べている。
「戦闘中に得られる情報の多くは互いに矛盾しており、さらにいっそう多くのものは虚報であり、そうでないものでも、不確実なものが多い。」
と、それに対して、クラウゼヴィッツより2000年前の『孫子』には、
「爵禄百金を惜しんで、敵の情報を知ろうとしないのは、馬鹿者のする事である。」
と書いている。と言う事は、彼らは、まさしく愚を行ってしまった事に他ならない。だから、そこに付け込む隙はあるのである。
しかも、軍の数が少ない中で、このような愚に及んでいたのだから、致し方がなかったのかもしれない。そして、ロボットの部隊も、数々がやられてしまい簡単に決着がついてしまった。
それから、この話については、あっという間に決着をしてしまったので、忘れがちとなるが、ここで場所を再び、広州に戻して、話を続けたい。

広州政府は、『紅巾』軍に対する宣戦を布告したのは、越南軍が『紅巾』海軍との戦闘を行っている最中の事であった。
この事態を、受けて『紅巾』陸軍は、越南軍の敗北を期待していた。所が結果はその逆であった。これに、陸軍ははっきりした目標を見たものの、攻め手を欠いていた。つまり、長期戦の予想が成り立とうとしていた。
事実上の沈黙状態、籠城である。この籠城は、多くの兵法で用いられるが、この籠城の難しさは、相手が何時何処で、籠城する時に用いた兵ないし壁をこじ開けられるのかと言う事を、あらかじめ予想しなければならないと言う事であり、時にはとんでもない抜け穴から、侵入されると言った事も、予想の範囲内に収めておかなければならなかった。この籠城戦を、巧みに利用した戦線の例が、日本に残っている。
その戦線とは、16世紀の日本、天文14(1545)年と言う元号が与えられた頃の事で、場所は益州地球部日本郡埼玉県川越市で起きた、通称を「川越夜戦」と呼ばれる合戦の事である。
この合戦は、包囲されている川越(河越)城を後北条氏の北条氏政が救出すると言う合戦の事を指していた。この時、関東地方には鎌倉公方と言う役職を名乗る人物がおり、その公方家は、足利氏、上杉氏が受け持っていたと言われている。
所が、そこに現れた新興勢力の後北条氏が、台頭した事に因り状況に変化が訪れたのである。まあ言えば、それに対応できなかった足利氏と上杉氏が、権力にしがみついている為に、こんな事になったのだが、いわば下剋上の時代を敏感に読み取るの能力が、はたして両氏にあったのかは疑わしい所だろう。
そんな中で、起きたこの一戦のふたを開けると、後北条氏が勝利を収めた。この勝利の主な理由を一言で言うと、相手の油断そのものである。これは、どんな事にも言えるのだが、油断をしていたら、漁夫の利を取られると言う事であり、彼らはそれを分かってはいなかったと言う事になる。
そう言った過去の事例から考えると、『論語』の「一を聞いて十を知る。」、「古きに尋ね、新しきを得ん」と言う事であると言えよう、兵法書の『孫子』では、長期戦のもろさを次のように指摘していた。
「兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を尽くさば、すなわち諸候、その弊に乗じて起こらん。」
と記している。つまり、兵士と手人間であり、力も消耗すれば脱走者も出てくる。それに、留守にしている本拠地が狙われでもしたら、まさしく元も子もない。
この事態も、守る側にしてみたら有利であり、攻める側には不利に働くと言う事に他ならない。
事実上、中間都市の英徳を挟んで両軍がにらみ合っていたのである。

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