情報流出の恐怖4 -これから我々にできること-

最後として、この項では手短だが、この情報流出問題から学ぶべき教訓を上げたい。
私の見解としては、情報流出を防ぐには、何が必要かと言うのを述べてみる。
それは次の2つにわけることができるかもしれない。
一つ目は、情報を共有することも大切だが、その共有している情報に外部からのアクセスができないようにロックをかけておく必要がある。
これは、海上保安官によって、流出してしまった「尖閣諸島漁船衝突事件」の映像から得るべき教訓で、私たちも、そのような危険にさらされる可能性が強いと言える。実は、私の場合も、パソコンのセキュリティ設定を誤って解除してしまい。
それによって、情報を流出し易い状況を作ったことからの反省からも、この事は強調しないといけない。しかも、外部のメモリーにアクセスしてしまい。それによって、使用者の個人情報を流出させてしまう危険性もあれば、それによって、多くの情報共有をしている人たちの情報も流出する可能性がある。
二つ目は、情報共有している使用者も、情報は流出しないという楽観的な考え方を取ってほしくないという点である。流出しないと思っていても、情報はどこかから、意図的に流出する場合や、事故によって流出するという事を忘れてはならない。
さらに、情報流出だけでなく、国民の利益に即する情報は、早くも公開し、「秘密」の情報を「秘密にしないという「情報公開」の動きも同時に加速させるべきだと言える。
それに、疎い日本政府は、この流れに乗っていくべきなのか、それを問いかけたのが、日本本土に核を持ち込むことも想定した「沖縄返還協定」による、「日米交渉秘密文章」の存在である。
普通なら、こういった情報はいち早く国民に知らせなければならかったが、実のところ、アメリカに堅く口を封じられたというような形で、日本政府は発表してこなかった。
これは、外交上では不利になるかもしれないが、日本国民にとっては、アメリカに対しての印象で悪影響を与え、また日本政府を批判する運動がおこった可能性は高く、日本の流れを変える一打を作ったのではないかと、私は考えてしまう。
こう言ったことからも、「守るものはしっかりと守り、公開することは公開する」事も必要ではないかと思う。

ウィキリークス問題から、提起したこの話題もこれが最後になるが、今一度、国家だけでなく、情報と言うのが、いかに大切かを心に秘めて、これからも歩まなければならないだろう。

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