「獅子と犬―対露戦争と日本」 1 ロシアを甘く見るな!

日本がロシアと初めて接触したのは、今から200年前の1792年の事で、元号でいえば寛政4年に当たる年である。このころの日本は幕藩体制に置かれており、現在の都道府県と州制度を合わせたような体制をとっていた時代である。

この時、ロシアの全権代表ラクスマンは、当時の幕藩体制の外にある北海道の根室に上陸し、交渉を求めたが、当時、東アジアではスタンダードだった制限貿易制度をとっていた日本では、交渉が難しいと判断し断念、両国が交渉のテーブルに着くのは、それから半世紀ほどが経った嘉永7(1854)年まで待たねばならない。

その嘉永7年と言えば、日米の間で和親条約を結んだ年に当たる。その時から、日本は国際社会に出たのである。その時に結んだのが、「日魯和親条約」であった。

その日本が、嘉永7年の「和親条約」締結後、ロシアは日本の北の壁となっていく、実はそれを実感したのが、明治7(1875)年の「千島樺太交換条約」と言うものだ。この条約は、「日魯和親条約」で棚上げされていた樺太島を、どう扱うのかで議論が行われ、結果は樺太をロシアに譲渡する代わりに、千島列島を日本が領有すると言う事で決着したのである。

しかし、結果的には日本が、譲った形だと言えるかもしれない。そうした中で、日本とロシアは、日清戦争以降、清国の東北部に標的を定め、争った結果、「日露戦争」と言う、雌雄を決する戦いに至るのである。