震災から乗り越えた人々 3 安政南海地震の例

さて、本日のお話は、前回の2におきまして説明いたしました。今回は、その東南海大地震から3日後に発生した南海地震と、地域の人々を守るために機転を利かせた一人の男性の物語をお話しします。
本日の主人公は濱口梧陵さんと言う醤油製造業者のお方です。今回の話は3つに分けております。
1点目は、この梧陵さんがモデルとなった「稲村の火」について、2点目は、安政南海地震での梧陵さん本人が対応したこと、3点目は、梧陵さんの地域を守るにはどうするかを他の例で拝見してみると言う事についてです。
 
まずはじめに、この梧陵さんがモデルとなった「稲村の火」、実際に世界で売り出された小泉八雲(本名:ラフカディオ・ハーン)の小説では"A Living God"と言われる作品として残っており、邦題は「生ける神」だったようです。
その話によると、梧陵さんが住んでいた地区で不気味な揺れを経験し、それが地震だと気付いて、高台から海を見た瞬間、「津波が来る!」と予感し、村人の収穫してある稲藁に、火を付けて危険を知らせたとされております。その後、高台に避難した村人たちは、火災だと誤解して火を消そうとするのですが、梧陵さんはそれを制して海を見るようにと、声をかけます。そこに、津波がやって来て、村を飲み込むのですが、高台に避難した村人達は無事だったと言うストーリーです。
 
それで、現実の梧陵さんも、安政南海地震の大津波に見舞われます。彼の出身地は現在の和歌山県有田郡広川町と言うところです。現在では、大阪市内から特急列車などの交通の便がよく、乗用車で1時間半あれば、訪れることができる場所でもあります。その地震が起きた当時、梧陵さんは数え35歳の青年で、「稲村の火」では60代の初老のような描かれ方をしておりますが、実際には働き盛りの人だったようなのです。その梧陵さんは、大津波に遭遇し、実際に津波が来る事を知らせて、人命を救います。
地震発生後の大津波で、中部地方から紀伊半島沿岸、四国太平洋側、九州日向灘等に15mクラスの大津波が押し寄せたと言うデーターが残っていて、その被害の大きさは計りしれません。
実は、ここで梧陵さんが見せた才覚は、多くの資材をはたいて救難物資を工面した事です。この工面したのにはわけがあります。それは3点目に手詳しく説明しますので、もう少しお付き合いください。
 
実は、梧陵さんの持っていた職業に関係しておりますが、醤油の生産、販売を行う醤油製造業者と言うところに、この救難物資を工面できる秘密がありました。この梧陵さんの営みお店の本家は、千葉県の銚子と江戸―東京に店を構えており、梧陵さんの所もその流れをくんでおります。また、梧陵さん自身もただの商人ではなく、紀州の海似て育ったためか、日本海軍を育てるために、当時の開明的な軍学者佐久間象山に弟子入りし、勝海舟の創設した神戸海軍操練所の建設資金の拠出も行っております。
当然のことながら、大津波災害の教訓により、銀94貫匁(1両が60匁で取引されていたことから、計算すると1566両になり、約7830万円になるそうです)の資金を投じて、大型堤防を構築、それが南海地震での大津波でも効果を発揮しました。
 
結局言えることは、梧陵さんの考え方は、その地域に根差した支えていかなければ、国は建て直せないというものだと言う事です。
 
次の話の予告ですが、関東大震災の中で、金融機関がなした事は何だったのかについて、お話しいたします。

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