震災から乗り越えた人々 4 関東大震災の例

本日で、最終回となりましたが、最終回は、大正時代に発生した関東大震災を乗り越えた方をピックアップしてみます。その主人公は、静岡県に本拠を構える『スルガ銀行』の頭取岡野喜太郎さんです。
 
この話の要点は、3点に絞り込みました。1点目は関東大震災の時に喜太郎さんがどう対応したのか、2点目は、震災対応のベースとなった教訓について、3点目は、その復興精神をこれからどう生かすのか。です。
 
まず、喜太郎さんは震災時にどう対応したのでしょうか。先にそれから見ていきます。
大正12年の9月1日の正午ごろ、マグニチュード7.2の直下型地震が東京を含む地域を襲った中で、頭取の喜太郎さんはいち早く資金の貸し付けに乗り出しておりました。
それは、喜太郎さんの奥さんと娘さんを送ってから、わずか6時間もたたないうちの出来事となりました。なぜ、こうなったのか、喜太郎さんの奥さんと娘さんは旅行で東京方面に向かったと言う事です。その不安を抱えながらも、喜太郎さんは陣頭指揮を執ったと言う事になります。
その当時、東京では多くの建物の倒壊とともに、銀行が休業する事態に陥り、政府はモラトリアム(支払猶予)令を布告するのが精いっぱいです。また、静岡県も被害が軽かったわけではありません。静岡県全体でも全壊家屋が2383軒、半壊家屋が6370件に達するなど、多くの人命が失われた災害だったと言う事が分かってきております。
そんな中で、スルガ銀行の沼津本店では頭取の喜太郎さんの陣頭指揮のもと、いち早く、被災者のために「(預貯金のお預けになられています)希望者には全額お支払いします」と言う、張り紙を掲示する手段に出たのです。
 
喜太郎さんの行動は、ある出来事がきっかけとなっておりました。それは、静岡県を明治17年に襲った暴風雨でした。この時、喜太郎さんは数え21で、急遽実家に帰省して、田畑を耕していたそうです。その一方で、災害に困らないように勤労、節約、貯蓄を人々に説きます。しかし、最初はだれからも理解されません。しかし、喜太郎さんの熱意に押されて次第に資金が集まり、そしてスルガ銀行の元が出来上がったと言う事になります。その目的は『郷土の再興』であったそうです。
 
さて、喜太郎さんがなぜ「(預貯金のお預けになられています)希望者には全額お支払いします」という処置に踏み切ったのか、その理由は支払を行う能力があるのに、それを政府が規制することはできない。今、必要なのは復興のための資金であり、それは、被災者のためにあるものだと行った哲学があったと言えるかもしれません。
そんな中で、身近な不幸を耳にすることになります。それが、見送ったはずの奥さんと娘さんが旅先で、犠牲になったと言う事です。
しかし、喜太郎さんは身内の不幸をとやかく言うのではなく、目の前にある人々を救う事が大事だと考えており、そのまま陣頭指揮にあたっております。
常に、復興を信じる心が、彼を動かしたと私はそう考えております。
 
そう、大きな災害に見舞われた時、人々は立ちあがってきた。それを繰り返した日本の歴史が見えたと言うのが、私の感想です。
 
参考文献『歴史街道 2011年6月号』より
1:「三陸大津波…明治の人々が見せた奮闘とリーダーシップ」
2:「『元通りの村に』自らの決断で希望をもたらした男たち」から「安静東海大地震で領民を救った林鶴陵」
3:「世のため、地域のために…『稲村の火』が伝えるもの」
4:「非常時こそ人々のために…ある銀行家の決意」
 
また、ウィキぺディアの記事も参考にしております。

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