タイトル:広州迎撃戦 16

その卵を見つつ、一美に穂積は尋ねた。
「今すぐというわけではないのですか?」
と、それに、一美は首を振らず、頷きもしない。
「姉上…。」
黙ったままの一美に、穂積は姉の心のうちを察さずにはいられなかった。本当は、こんな惨い事をさせたくないと、案に語っているようだった。
そのあとは、2人の間に言葉はなかった。
「この卵を、どうするのか聞きたいのに…。」
と言わず、ただ黙ったまま、一美は卵を手に取ると、穂積の体にそれを押し付けようとしていた。
それに、穂積は体を預けるように、力を抜いていた。いつでも覚悟ができていたようであり、一美は、驚いて手を止めていた。
「穂積…」
こんなに、大人びた弟に、過酷な運命を背負わせていいのか…、一美は、自分に問うた。しかし、これしか今はない。だから、穂積は覚悟を決めている。それを決して無駄にしてはならない。
本人が覚悟しているのなら、と一美は、力を込めたいのだが、どうしてもできない。自分の弟を失いたくないためか、それともこんな弟に、自分の苦しみを背負わせたくないからか、一美の腕が、力を失っていた。その時、一美の腕を強引に自分の体に押し付けたのが、穂積だった。
「姉上、何のためらいがありましょうや。私は幸せ者です。この様な事が出来たのは、姉上くらいしかいません。なぜなら、自分の弟にこの様な形で託そうとしている姉は、世界中探しても、姉上だけです。だから、この卵を私の体に、収めてください。」
と、穂積は一美の顔から眼を離さず。真正面で答えた。それが、一美の心を切なく揺らしていた。
「ほ、穂積…。」
自分のしている事が、罪だと言われたような気がしていて、腕の力をさらに緩めようとした。しかし、それに反して、
「姉上!」
と穂積が声を上げる。それは、警告であり且つ、要望でもあり、悲鳴でもあり、叫びでもあった。そのまま、卵は一美の手から、穂積の左胸、すなわち心臓近く胃と間に吸い込まれた。
「ほず…、穂積?」
突然、穂積の体がバランスを崩して、一美の体に吸い込まれた。
「穂積? 穂積?」
名前を呼んでみたが、返事はない。ただ、呼吸はしているし、脈もちゃんと規則正しく、鼓動を打っている。大丈夫のようだ。

一美は、穂積につきっきりなっていた。体を起こすと、姉の顔が近くにあって、穂積の顔は赤みを帯びた。
「姉…上…。」
そう言って、自ら立ち上がった。
「これなら、大丈夫だね。」
と一美は、穂積に言ったが、穂積は、顔を赤くし何も言わず、姉の部屋を出て行った。
そう、自分の部屋に戻っていた。体が熱い、そんなことを感じている。どうして熱いのか、まったくわからなかった。それが、何かは…。そして、自分の勉強机にある椅子に腰かけた。これは、自分の選択だったのかと穂積は、考えてしまった。そこに、麗が何も知らぬまま、入ってきた。
だが、赤い顔をした穂積を見て、おかしいと気付いた。一美から流の卵を宿してもらった穂積は、自分の体が変だということに、気づくのも無理はないと考えていた。
「穂積…、顔真っ赤よ。」
穂積の顔を凝視していた麗が一言漏らしていた。
「そ、そうか?」
と、穂積は麗を見る。しかし、麗も顔が赤い。どうしてなのか、麗すらわからない。麗は、もともとから穂積のことが好きだ。だが、その彼が、目の前にいるのに、どうしたのだろうか、麗すら、顔を赤くして何も言えない。
そして、穂積の体が沸騰するように熱くなってきた。
(何だ?)
それが何か、わかったような気がした。龍が暴れ始めていたような気がした。
(これが…、龍か?)
それに気づいた時、麗は、思わず駈け出して、穂積の体に抱きついた。
「麗!」
その声に、麗はきかないふりをして、抱きついたままだった。それに、穂積は、この様な声を聞くことになる。
『穂積…、私は、穂積の事が、好きで好きで…、だけど、穂積が別の人になるのは、いやだ! ボクは、穂積にそんな事になってほしくない。』
と悲鳴に近い声が聞こえた。だが、本人の口からは、そんなことをはっきりとは言わなかったのだから、彼女の何が、そんな事を言わせたのか、穂積は直感的にだが、ある程度予想は付いていた。それは、彼女自身の願い、願望であり、それを、P.W.1世紀のころには、「心の声」という表現がされていた。
穂積は、そのような声が聞こえてきた。しかし、それが偶然か、なにかはわからなかったのである。ただ、本当の意味で穂積は、麗の心の声を静かに受け止めた。
「大丈夫、僕は、ここにいるよ。」
それを聞き、麗は安心した気持で、彼の言葉に甘えた。

そんな中で、一美は、穂積のたくましさに、自分の弱さを感じていた。そこに、霞が部屋の戸を軽くたたいて、入ってきた。
「一美様…。龍の卵を…」
と言いかけて、言葉が継げなくなった。
「そうだ、渡したのよ。」
と短く答えた。しかし、穂積は何とも言わなかった。なぜかわかったような気がしていた。
「穂積は、すべてを受け入れたかもしれない。だからこそ、彼は何も言わなかった。」
と消えそうな声で、一美は話していた。相当ショックだったのかもしれない。
だから、霞は、その顔をしている一美が、なんだかかわいそうになって見えた。だからと言って、それを慰めるすべもない。そこで、服を脱ぎ一美の背中を抱きしめた。
その体に、温かさを感じ取った一美は、霞の体に向きを変えた。その温かな体の源は、と考えた時に、たわわに実った乳房が目に入って、顔をそらした。
なぜだか、恥ずかしさを隠しきれない。一美は、目をそむけてしまった自分を恥じた。
「一美様、いかがなされたのですか?」
と霞がきく。
「初めから見たとき、私にはあなたが一人の人を愛しているがゆえに、鬼になったのだと考えたが、あなたの体は、龍を宿させようとした時も、癒しを持っているものだと感じた。なんだか、その体に包まれているような感じがする。」
恥ずかしいのではなく、自分を恥じてしまったというのが本当のところだと、言えるのかもしれない。そう感じた。
「一美様…。」
霞は、涙目になっていた。なぜなのか、霞の心は満たされていた。
「ありがとうございます。私は、一美様を守りたいのです。」
そして、一美は着ている服を、脱ぎその温かさを共有しようと、体を合わせた。
「ありがとう。私もそなたを守りたい。だから、このぬくもりを忘れない。これからも…。」
そう言いながら、一美は、霞が自分自身を愛してくれているなら、この人のために今できる事をやってみよう。一美は、そう考えていた。

そのころ、大波軍は慶州地域を通過し、広州に向かっていた。その多くは、大波の国民と記されているが、それが、どういった国民を表しているのか、今となっては、証拠となる資料が、捻じ曲げられたため、分かっていない。
ただ、多くが中華族と、中華地域出身の波斯族の間に生まれた人々によって構成されているのは事実だったようである。
その軍の数は10万6549人、多くの兵士たちが、虚偽に惑わされて、南に南下していた。その一端の部隊を担う人物に、そののち、一美たちと共に闘う人物がいた。人物の名前は、川添環という、部隊を指揮するうえで、この戦は、ただ単に制圧が目的という事だけ頭に入れている、他の将兵たちとは異なり、一美が反乱を起こしたのかということ自体に、関心を向けていた人物の一人だった。
(本当は、この戦はでっち上げなのでは?)
口には出さなくても、そのような疑問が体の中で、軍勢が通る道をずっと、見つめていた。もともと北部の幽州出身の彼女にとって、北部地域の考え方は、政府寄りであるのは確かだ。
だが、一美とて「政府の中から改革をしなければならない」と唱えていることには理解を示していた。だが、一美自身が、それが無理だと感じ取っている。紅巾の軍団がおこした反乱を鎮めたとしても、今度は、一美たちがそれに類似した反乱を起こすというのではないのか、と言った恐れが蔓延していた事も確かだ。
だから、でっち上げでもいいから、見せしめとして、彼女を差し出せと要求しているのではないか。と考えもしていた。
こののち、環は、他の人材とともに桂林の守備を命じられる。しかし、そののち起こった一美の逆襲ともいえる戦において、運命を一美に預ける事となった。

一美の部屋の隣で、穂積はまるで、恋人を慈しむかのように、体を触れさせていた。麗は甘い声をあげてその思いにこたえていたようである。小さい体だが、なぜか新が太いような感触を受けた。
「ボクは、ここにいるよ。」
と穂積に優しく声をかける。
「ボクか…、女の子らしくするといいかもしれない。だけど、その声とセリフも好きだな…。」
まあ、どこかでやり取りがあるような、言葉である。
「穂積ぃ、私たちは幸せだね。」
急に素にもどったので、穂積が驚く。
「僕と一緒にいる時は、『ボク』で自分表してもいいと思うよ。」
優しい恋人が目の前で呟いてくれた言葉、麗は、その言葉に嬉しさがこみあげてきた。
「穂積!」
ただ、名前を強く声で呼んだだけかもしれない。しかし、麗にとっては、一生寄り添いたい人が出来たのだ。これは、麗にとってだけでなく、穂積にとってもそんな思いがしていたのだ。
穂積はふと母親の言葉を思い出す。これこそ、本当の愛ではないのか…、そう考えてしまうと、穂積は姉がどうして龍を与えたのかが、分かってきた。自分に中華族などをまとめるリーダーとして、この事態を乗り切ってもらうために、自ら出向き人々を救う事、そして、穂積には救った人々を守ると言う仕事を、課したのだと理解した。それより、一美も、霞と体を合わせているだろう。
それより、麗は、穂積の体に張り付いたまま、身を預けている。しなやかな体の曲線。そして麗の細く華奢な体つき、さらに少しふくよかな胸元、そこに穂積は女の子らしい麗の姿を見たような気がした。
普段も、服装などで女の子らしさを表現していたが、他の人たちをまとめるためには、商談での交渉をするわ、多くの商団員たちを引っ張るわの活躍をしていたから、女の子ではなく、男の子の部類と言えばいいのかもしれない。
穂積も同じく、交渉に加わるうえに、商談の1部隊を任されるほどの行動を見せているから、麗の行動も分かる。現在、姉は防衛の指揮を担当しているので、そのほかの事は、穂積にまかせているから、そういえるのかもしれない。
だから、一美を取り巻く状況が悪くなっている事を見越して、一美自身があのような行動をとったのだと、考えていた。
そこまで、見ていたのかと、穂積は思っていたのかもしれない。だが、『龍』の卵を渡したいという思いを、穂積はこの様に考えていた。

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