今年で100年 終わりに。

本日の話題も、「歴史もの」から辛亥革命についてです。
 
今回はまとめですが、ここでは、2点に分けて述べてみたいと思います。1点目は、中国がたどった近代化の道、そして、2点目はこれからの中国と日本はどう付き合っていくのかです。
 
結局のところ、中国の近代化はまさに戦乱の中での近代化となりました。特に昭和2(1927)年以降に、中国国民党と中国共産党の内戦が勃発し、その流れで、日本が介入することになり、昭和6(1931)年の柳条湖爆破事件に端を発する「満州事変」、。翌昭和7(1932)年の「満州国建国」により、日本との緊張関係が高まってきます。しかし、外交による戦略を重視した蒋介石の戦略が実を結び、昭和8(1933)年、日本は国際連盟を脱退する事になります。
 
それから4年が経。過した後に、北京の盧溝橋事件を発端とする「日中戦争」が勃発するのですが、その間も内戦は続き、多くの人々の非難を受けます。この時キーパーソンとなるのが、3年前の平成20(2008)年に亡くなられた張学良さんです。
「えっ? この人って、つい最近までご存命の方だったの?」と聞かれるかもしれませんが、それは事実です。彼が仕掛けたのが、西安事件です(昭和11{1936}年12月12日)。そして、この取り決めに呼応するかもしれませんが、中国共産党は4か月前に「8・1宣言」を採択して、日本に対しての徹底抗戦を呼びかけます。
結果的には、「日中戦争」に8年ほどかかって勝利をおさめます。その結果はさらに4年後の昭和24(1949)年、中華人民共和国の成立により、中華人民共和国として現代を歩むことになります。その中で、蒋介石は台湾に逃れることになりますが、その台湾から一歩も外に出ることはなく、昭和50(1975)年に亡くなります。
一方、その翌年に当たる昭和51(1976)年に周恩来首相と毛沢東主席が相次いで亡くなり、紆余曲折の中で、改革開放路線に向かっていくのです。
 
この中で、日本は昭和20(1945)年に敗戦を迎え、中国との関係は辛亥革命の時とは逆転します。そして、日本との国交を回復するのが、昭和47(1972)年に田中角栄首相が訪中する時まで待たなければなりません。
その後、昭和53(1978)年に「日中平和友好条約」を締結したのですが、経済的な関係は築きましたが、文化的な交流については道半ばと言えるかもしれません。
実際、辛亥革命の援助に日本人がかかわった事は、前々から知られておりましたが、新たに「坂の上の雲」の主人公である秋山真之が関わっていた事が分かってきております。これに関わった日本人は、この他にもたくさん出てきたのです。
結果的には、こう言った歴史の検証を行いつつ、教育での交流を加速させることが必要となってくる事になります。これから、日本は教育面での交流を深めていくことが必要となります。また、孫子での「我を知り、彼を知る」と言う言葉から、中国人の気風を理解し、逆に中国国民には日本人の気風をアピールすることが必要と言えるかもしれません。
 
今年で、辛亥革命から100年を迎えた中国、その発展とともに、日本を身近に感じることこそ、今の私たちが望まなければならない事ではないでしょうか。そして、中国も日本の歩んだ道を、反面教師として学び取ることが必要だと言えます。
 
最後に、「歴史とは現在と過去の対話である」とE・H・カー氏は述べておりますが、この辛亥革命から私たちは、学ぶべきことが多いのかもしれません。

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