思い出の「日本海」 Vol.2

さて、本日の話題は、またまた、「鉄タビ」から思い出の「日本海」特集の2回目を、お送りします。

今回は、「日本海」の車内で出会った子供について、お話したいと思いますと言っても、20年ほど前の事なので、その方の名前も今は記憶のかなたにありますので、ご了承ください。

これも、午後8時に大阪駅を出る「日本海3号」での出来事です。
大阪駅を出て、新大阪駅、京都駅と停車した後の事です。その時、年は私より一つか二つ下とも見える少年が、私と同じ号車にいたと言うのです。
まあ、旅は気楽に、恥はかき捨てということわざがあったのかもしれませんが、同じ一人旅をする者同士、気があったのかはわかりませんが、どこから来たのかを聞き、どこに行くのかを話すことで、親近感が生まれました。
その男子は、滋賀県から、いったん京都にでて(おそらくですが、湖東方面、湖西線の比較的京都よりと推定しておりました)、この「日本海3号」に乗ったのだそうです。
同じく外を見て、次のような知識も、語ってくださいました。

彼:「この湖は、もし水不足になっても、大丈夫だそうですよ。」
と言うのです。どう言う事なのか…、彼が言うには、水不足になって干上がっても、周りの川からおくられる水によって循環していると言うのです。
しかし、私は、この話を別の形で思い出す事になったのです。それは、時はそれから6年後の平成11年になってからです。
本当にひどい、水不足に悩まされており、琵琶湖は水位が下がりに下がったのです。その時、琵琶湖の湖底が見えたと言う事を記憶しております。しかし、彼がどうして、その知識を私に言ったのか、おそらく、まだ水はでてくるのだろうと言った意識(つまり、水道の蛇口をひねると、水がでると言う意識)があったから、そのような知識を語ったのではないかと、今の私は考えてしまいます。

確かに、比良山系と伊吹山系を東西に配置している滋賀県と言うのは、琵琶湖を持つ事が特徴と言え、大阪、京都のみならず、近畿の水がめともたたえられている事は、周知のとおりです。

結果的に、そのあと少年が、どのような人生をたどっているのか…。それは、あの時の話と共に謎の一つかもしれません。

さて3回目は、祖父母を見舞う時に乗った頃の「日本海3号」についてお話します。

それでは、次回をお楽しみに。

以上です。