思い出の「日本海」 Vol.4

本日の話題は、再度ですが「鉄タビ」から、思い出の「日本海」特集の4段目です。

今回の話は上りの「2号」で起きた出来事です。私の祖母(母方の)が亡くなってから、すぐに、下りの「日本海1号」の切符を手配し、飛び乗って羽後本荘駅を目指すと言う事になり、大慌てで里帰り(と言っても母方の故郷と言うもので…)したのですが、その時、父親はいち早く航空機(JAL便で秋田空港へ)で秋田に飛び、私は「日本海1号」で追いかけると言う事になってしまいました。

そんな中で、お通夜とお葬式の内、お葬式に出席したのです。この時、あわてていたのか、ストライプ入りのワイシャツで来たのが失敗で、そのまま、取りに行く事も出来ず、お葬式に出席し、3日で秋田を後にしたのです。その間に、東京からその訃報を知った叔母の家族、従弟の2人と再会を果たしました。何せ、10年以上もあっていなかったいとこだったのですが(Vol.1で、二人が揃って会ったのですが、それ以来の事です)、その時間も感激もなく、葬式を済ませてしまえば、用がなくなってしまい、上りの列車で大阪駅を目指して帰る事になったのです。
ちなみに、編成は、昨年10月に乗った時と同じ編成でした。
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さて、トラブルが起こったのは、「日本海2号」(大阪駅着午前7時10分)が敦賀駅(午前5時32分発)を出て、京都駅(午前6時10分ごろ到着予定)に到着すると言う寸前で、思わぬ出来事に巻き込まれました。

場所は、京都駅から東山トンネルを越えた京都市山科区にある山科駅。この駅の手前にある湖西線から東海道本線に入る信号機にトラブルが発生し、列車は足止めを食いました。
この時、列車は、東海道本線との合流する場所で停車、しかもポイントの変更は、信号機のトラブルで行えるわけがなく、そのまま、10分が早々とすぎます。
その中で、何も知らずに東京から来た列車が…、おわかりの方も多いはず、急行「銀河」が、数分停車した後で、すぐに発車…。これは、東海道本線の信号は異常がなかったためか、すぐに運行されたのですが、湖西線のほうは、まだまだ、時間がかかると言う事で、そのまま1時間ほどが経過して、7時ごろに手旗信号による進入が開始され、結果的に京都駅に到着したのが、1時間後にずれ込み、さらに大阪駅が午前8時にずれこむ事態となりました。

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結果的には、そのまま、大阪駅に無事にたどり着けたのですが、この様な経験は初めてだったような気がします。しかし、「カレチ」の第3巻では、16時間も北陸の倶梨伽羅峠で足止めを食ったというエピソードがあり、比べ物にならないと言う話があるほどです。

まあ、そんなこともありと言う事で、第5弾は、国鉄時代に、とあるビジネスマンから、なんとカロリーメイトをもらったという話をしてみたいと思います。これも下手したら20年以上も前なので、記憶があいまいです。

できるだけ絞りだしてみますので、お楽しみに。

それでは以上です。