マレーシア政変から14年

本日の話題は、「歴史もの」から昨日の新聞からの話題を、お話します。
昨日の朝日新聞の国際面に、約半ページの記事が載っていたようなのですが、そのテーマから今回はお話します。

今からさかのぼる事14年前、東南アジアの中堅国と言われるマレーシアで、副首相の更迭に関してのデモが起きました。この時、私はまだ高校に入学した時の事で、父が転勤でマレーシアに滞在していたころの事です。
この事件は一体どういう事だったのか、このマレーシアの歴史から振り返ってみたいと思います。

実際にマレーシアのもとの国家と言うと、マレー連邦と言う国家にたどりつきます。実質は立憲君主制国家、国王(スルタン)を頂点とする国家として昭和32(1957)年に成立した事に始まります。
語源は「ムラユ人」の民族支配を目的としたもので、初代首相は、後にマレーシアの初代首相ともなるラーマンと言う人物でした。
首都のクアラルンプールは、現在でも首都として機能しているのですが、この時は、ボルネオ島の北半分を支配下には置いておらず、マラヤ連邦の建国から6年の歳月を要し、北ボルネオとサバ州とサワラク州を加え、さらにブルネイ(昭和59(1984)年独立)、シンガポール(昭和40(1965)年)を保護下に置いたマレーシア連邦として成立を果たします。

当時からして、民族が入り乱れる国家として船出をしたのですから、その先は前途多難と言う事になるかもしれません。
当時の人口比率は、マレー系を約半分、サバ州などに定住していた原住民を含めると6割5分となるほど、人口では多数を占めますが、華僑(別名として客家を思い浮かべる方もいるかもしれません)が企業経営者となる場合が多く、他には運輸物流と言う業種や、医師、弁護士などの特殊技量を有する職業にはインド系が就くと言われており、マレー系は官僚などに就職すると言う構造になっているようなのです。

その為、マレー系の人々の多くは、他の民族から冷遇されている存在となるため、国家としては次世代を育てなければならないと言った考えから、「ブミプトラ政策」と言うマレー系を優遇する政策を行っておりました。

あらかじめ簡単に記したのですが、ここからが本題です。
この当時の首相は任期17年に達したマハティール首相、↓
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首相が行っていた政策として有名なのは、「Look East」と呼ばれる政策です。これは、日本などの技術を、吸収して生かすという政策の事を指します。簡単にいえば「東に見習おう」と言う事です。ただ、このデモが起きる前年となる平成9(1997)年にタイの通貨バーツと、韓国のウォンの暴落が有名ですが。これが、マレーシアを混乱に落とすきっかけとなりました。
当時財務大臣(日本にも財務大臣がありますが、この当時はまだ大蔵大臣です)のアンワル氏が、政府系統の親族で固めた企業を優遇する事に反発し、マハティール首相に対して政治批判を展開、前年の通貨危機ではマレーシアも例外ではなく、ヘッジファンドによる空売りによって変動相場制に移行(日本では、昭和48(1973)年に入り変動相場制に移行)したために、通貨混乱はおろか、政治混乱も続く事になったのです。
しかし、このマハティール首相(現在元首相の彼)にとって、このアンワル氏はどういう存在だったのでしょうか、現在マハティール元首相から、2代ほど、下ったのですが…。
アンワル氏の奥さんと、娘さんが政治に参加しており、マレーシア政界がどうなるのかまったくわかっていない問うそうです。

それにしても、一族で固めると言う事は、近年日本でも起きております。ただ、規模は小さくなりますが、一企業で、そう言った問題が起きており、他人事ではないと言うのが実態です。これは、どこの国家でも、どこの企業でも起きないとは言えない事かもしれません。

と言う事で、このシリーズを合計7回にわたって、掲載します。
以上です。