中国と日本の関係に迫るたび(3)

本日の話題は、「鉄タビ」の3回目です。今回は、移情閣のすぐ隣に鎮座している旧武藤山治邸を訪ねます。

さて、その呉錦堂さんは、孫文が死去した大正13(1924)年から、わずか1年もたたぬうちに亡くなります。しかし、この呉錦堂さんは、日本の企業の経営者として、日本の財界にかかわっていた事があり、その次の文化財を訪ねに行く事になりました。

その建物とは、旧武藤山治邸「鐘紡クラブ」です。
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ここは、通称名で「鐘紡クラブ」と表示している通り、旧鐘紡が所有していた建物だったようです。現在は、国に登録された有形文化財として、兵庫県が運営しているとのことだそうです。
当時、武藤山治さんが明治27(1894)年{日清戦争が同年に勃発している}に三井銀行(現在の三井住友HD)から出向で、経営を開始してから13年後の明治40(1907)年に建設され、鐘紡の有名な福利厚生施設として、運営されていたそうです。
「カネボウ」改め「クラシエ HD」となった現在、鐘紡の面影を残す場所として名が知られているとのことで、一昨年の平成22(2010)年から一般公開されるようになったそうです。

明治39(1906)年に、鈴木久五郎による鐘紡株買占めに協力し、経営に参画した呉錦堂さんでしたが、一方、武藤山治さんは一時鐘紡を辞職する事になります。ところが、この経営が失敗に終わった為に、結果的に武藤山治さんが、社長に返り咲きます。

実は、この呉錦堂さんと共に孫文を支援していた人物に、鈴木久五郎が出てきます。ところが、その武藤山治さんは、政界に進出していくのです。つまり経済から政治の世界へと方向を変えていくのです。

その旧武藤邸は、西洋の建築が十分満喫できる。と言う場所でした。

以上です。

さて、次回はその場所を後にして、旧竹下家住宅に向かいます。