中国と日本の関係に迫るたび(4)

本日の話題は、「鉄タビ」から、旧武藤山治邸から、旧竹下住宅に向かうところから、始めます。

この旧武藤山治住宅の受付で、建物の印象について話していたところ、スタッフの方から…。

「旧竹下住宅も見に行かれましたか?」

と聞かれて、そうだ行ってみよう…と言う事で、急きょ予定になかった「旧竹下家住宅」を訪れる事にしました。と言いましても、JRの舞子駅を過ぎて、舞子公園駅に連絡する道から公園に出て、数分ほど歩くと、階段がある建物が見えてくると言うのです。そこから、階段を上がり、小さな門をくぐると、「旧竹下家住宅」となるわけです。

実際、どうなっているのかと言いますと、昭和16(1941)年に建設されたと言うのです。
その昭和16年と言えば、真珠湾攻撃による太平洋戦争勃発と言う事件があります。
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実は、この戦争が起きる4年前にあたる、昭和12(1937)年に盧溝橋事件に端を発した日中戦争が、その発端になっているのです。この戦争で、中華民国の国民党軍と、後に中華人民共和国を成立させる八路軍が国共合作(つまり、国民党と中国共産党を協力させる事です。)により、共同で軍隊を動かして日本軍と対決します。

結果的に、8年の長きにわたり、中国と日本は交戦状態に置かれる事になります。そのころに建てられた住宅と言う事になるのです。さて、中身は、いわゆる、和洋折衷という事になります。正面から見た画像は、和風ですが、少し右にずらしていくと…。
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この様に、洋間が見えると言うわけです。これは、これで面白い建物とみるべきでしょう。
確かに、そう言えるかもしれません。この建物も、舞子と言う場所にあったためか、戦争には関係することなくここに残されたのです。

結果的に、昭和20(1945)年に、日本の敗戦でその幕を閉じましたが、その後の4年間にわたり、中国では内戦(実は、昭和2(1927)年に上海クーデターで内戦が勃発し、一旦、休戦状態となったが、国共合作は一時的なものであったため、内戦に突入していく事になりました)が続き、昭和24(1949)年に中華人民共和国が成立し、現在に至ると言う事になります。

現在、この「旧竹下家住宅」は、昭和16(1941)年及び、戦前の住宅建築を表すうえで重要な文化財として、重要文化財に登録されております。戦前の面影から、中国と日本の関係を見てみるのも面白いかもしれません。

それでは、次回は、おまけとして明石へ…と、日中戦争週戦以降に日中の政府が、どういう取り組みをしたのかをお話します。

以上です。