歴史のタブーに迫る 第2回:関東軍の謀略は嘘か?―イギリス諜報部MI-6による張作霖爆殺の真相―

「歴史物」の特別シリーズ「歴史のタブーに迫る」、第2回の今回は、歴史的な事実がまだ不明と言われている「満州某重大事件」と言われた「張作霖爆殺事件」について、掘り下げてみようと思います。

さて、この話の定説は、「関東軍の謀略で、主犯は河本大作陸軍大佐である。」となっております。
では、この河本大作陸軍大佐が事件の首謀者なのか…、そもそも、関東軍が張作霖を爆殺するに足りる動機を持っていたのかという問題が横たわります。
そこで、クローズアップしていく点は、合計5点と非常に多いです。

1.そもそも、河本大作陸軍大佐を含む関東軍に、張作霖を暗殺する動機はあったのか。

2.中国東北部の軍閥のボスである張作霖と日本が手を組んだ理由

3.張作霖と息子張学良の関係。

4.その裏にいたある国家の存在

5.今も横たわる、日本=悪のイメージと、その裏で民衆を操る政府の影

としてみます。

その前に、この事件の流れを追ってみましょう。
昭和3年6月3日、蒋介石の率いる国民党軍が北京に迫った中で、張作霖は特別列車で、奉天(瀋陽)に向かっていました。
そして、6月4日の早朝に、奉天(瀋陽)の近くにある皇姑屯において、特別列車が爆発するという緊急事態が発生、張作霖本人は即死すると言う事件が起きました。

さて、此処で、1.の問題に触れます。

1.そもそも、河本大作陸軍大佐を含む関東軍に、張作霖を暗殺する動機はあったのか。

ここから本題に入りますが、河本大作大佐は関東軍の中にあって、張作霖を亡き者にしようとしていた節がありますが、実際に関東軍自体がこれには係わったという解釈ができるのかと言う点では、問題があります。
この理由は、当時の日本政府の首相は、田中儀一と言う人物です。実は、元陸軍軍人だった田中儀一は、日露戦争に参加した将兵の一人です。さらに、陸軍と言う事は、児玉源太郎(日露戦争時参謀長を務めていた)の部下であった事がカギになります。
と言うと、どういう事かと考えると、この当時、張作霖との関係がどのようなものだったのかについて触れる必要性があります。
この日露戦争当時、ロシア帝国陸軍と対峙していた日本陸軍にとらえられた張作霖は、自らのロシア帝国陸軍で、働いていた経験を生かして、自ら売り込んで命を助けたという経緯があります。
この事から考えると、関東軍に彼を暗殺する動機は、不透明とみるべきかもしれません。
つまり、奉天(瀋陽)からロシア勢力が撤退する事が、日露戦争当時の関東軍と張作霖の頭にはあったと言う事になります。
その後の昭和年間に、関東軍の組織自体は人等も変わっていき、関東軍にはそういう動機があったのかは、まだ明確な回答は出てきておりません。
では、その関係をもう少し掘り下げる為に、張作霖との関係をもう少し掘り下げます。

2.中国東北部の軍閥のボスである張作霖と日本が手を組んだ理由

この張作霖と手を組んだ理由は、満州の経営と言う至上命題を日本が果たそうとしていたため、と書かれている点もあります。これは、まさに事実とみるべきかもしれません。
旧満州は児玉源太郎陸軍大将とコンビを組んでいた後藤新平(第1回で登場しました)が取り組んだ経済圏構想の一つであったとされております。
つまり、旧満州とシベリアなどを結び、一大経済圏を作り上げると言うのが、児玉源太郎と後藤新平が考えていた構想そのものです。

その点で、大正年間から昭和年間に登場した張作霖は、地盤を旧満州においていた事の縁から、手を組むのは自然だったと考えられます。しかし、その張作霖本人は、経済圏の構築は頭になく、自らは奉天の殿様と言うレベルでしか考えていなかったことも、この事件で、関東軍が疑われる原因となったと考えられます。
日露戦争時にとらえられた張作霖を、児玉源太郎は次のように評しております。
「一度ロシアのスパイになった人間を日本の為に働かせるには、十分な注意が必要だ。まして、そんな起点が聞く人間ならば、いずれまた裏切るに違いない」
と、
まさに、日本の支援を受けて旧満州の勢力を拡大出来た反面、反日的な行動も取っていたことがままあったのですから、児玉源太郎の評価がまさに的を当てたと言う事になります。

しかし、この反日的な部分は、今の中国にも残っている事であり、彼を評して否定はできないと言えますし、他にも、息子の張学良の存在がもう一つのカギになるとみていいのかもしれません。

3.張作霖と息子張学良の関係。

張作霖の息子、張学良はこの一件の前年に当たる、昭和2年7月に国民党に、入隊する事になります。この国民党は明治44年の辛亥革命から、始まったのですが…。この国民党は独自の軍隊を持つ事痛感し、中国共産党と共に北伐を開始し、中国全土を統一へと向かわせるのですが、しかし、最後の障害となったのが、父の張作霖でした。
しかし、父親を殺す事になろうとは…。この時に張作霖にも抱えていた問題があります。それは、満ソ国境紛争が現実を帯び始めてきたのです。
しかし、この満ソ国境が、この事態を複雑化させます。この張学良は、国民党軍に全国統一させようとしたのかもしれません。
ただ、おそらく、張作霖は張学良の関係は、本当の親子だと言えるかもしれませんが、この政治的な思想問題、父は満州の殿様として、息子は中華統一の為にと、ベクトルが異なっていたと言う事になるのかもしれません。しかし、この二人の思想的対立だけでは、まだ物証が足りません。もう一つの勢力の存在が関わってきます。
4の問題がこれです。

4.その裏にいたある国家の存在

おそらく、張学良と国民党の裏にいた国家の存在…、その存在は…、北の共産主義大国ソ連の事です。大正5年のロシア革命でソビエト社会主義連邦共和国を樹立しました。
そのレーニンは、大正12年に亡くなりますが、この当時のソ連側の潮流は、2つに分かれておりました。
その一つは、世界革命の潮流。また一つは、一国社会主義の潮流です。

つまり、前者を支持していたのが、トロツキー。後者がスターリンになります。

この時に、中国に来たのが、トロツキー主義を掲げていた「コミンテルン」が入っていたと言う事になるのです。
つまり、この答えこそ、張作霖爆殺事件を紐解くカギとなります。ここで、イギリス諜報部MI-6が提出した資料によれば、河本大作大佐の犯行説は満鉄の陸橋を潜り抜けた8メートル先で200キログラムの爆弾があり、それが爆発したと言われておりますが、それでは張作霖本人を爆殺する事が出来るか疑問があり、それ以外に言える事としてみると、列車内に爆薬が仕掛けられており、それが爆発したと言うのであれば、その車内を吹き飛ばすどころか、一部橋梁を破壊するだけの力があると言う事にもつながるという結論を、MI-6は得ているのです。
そう、この事件が意味する事は、ソ連が中国を反日勢力の拠点とし、その拠点の中で、日本の利権を弱めていくと言う事を暗示していると言う事に他なりません。

それを示しているのが、この事件での関東軍関与と言う、偽の情報を流させた事に他なりません。

「兵とはまさに詭道なり」

にあるように、その事実がまことしやかにささやかれてきました。

では、最後に。

5.今も横たわる、日本=悪のイメージと、その裏で民衆を操る政府の影

これは、今の日中、日韓関係にも表れてくる事です。実際に当事国の末裔的な存在である中華人民共和国は、自らの国家を安定させるために、民衆を扇動して反日運動を展開させた例がたくさんあります。

ただ、それは、この国家、この地域が抱えている根本問題から各市民を、外に向けさせるための排外熱に他なりません。かつての日本でも、同じ事が行われていたケースがあり、他人ごとではないと言う事を理解しておかねばなりません。
そのうえで、中国との関係を考えなければなりません。

そもそも、日本=悪ととらえている国は、見渡してみると近隣諸国、特に中国と韓国の政府による扇動ととらえなければならないのかもしれません。
主に、嫌韓流と主張する人たちの根底には、この考え方が強いのではないのかと、私にはそう考えてしまします。

しかし、大事な事は歴史が伝えている事が、真実とは限らない事、それに対して、他の国家はどう考えていたのか、第3者の視点が必要となってくると言う事です。
それを、考えない限り、重箱の隅をつつく愚を犯す事に他なりません。

何が真実で、誰が歪めさせているのかを考えれば、この事件の真相にたどりつく事になります。
要は、張学良と蒋介石、さらにコミンテルンの中国指導部が連携して事件を計画したと言う可能性も否定できないかもしれません。

それを考えたら、中国政府を構成する中国共産党も、この事実に目をそむけられない可能性も出てきます。それに、この資料を全世界に公開していかないと、間違った認識を打破できなと私は考えてしまいます。

極論かもしれません。しかし、現在の中国を考えていくと、日本の事件に対するおしつけなどが、この部分にも表れているとした点を見逃さず、中国政府はその事について、目をそむけない事を祈りたいと間がる次第です。

以上です。