歴史のタブーに迫る 第3回:JFK暗殺―東西冷戦とベトナム戦争、そして、アメリカがさまよった時代の引き金とは―

「歴史物」の特別シリーズ「歴史のタブーに迫る」、第3回の今回は、世界史的にも重大な事件と言われているジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を掘り下げてみようと思います。

今回は、この事件で浮かび上がる黒幕の存在についてお話ししようと思います。
論点は4点に絞ります。
 、
1.大統領が撃たれただけでなく?

2.大統領を嫌っていたのは一体だれ?

3.ベトナムの異変、キューバの変事、そしてその裏にいるソ連

4.結果的にベトナムの戦争と、ケネディ大統領の暗殺が与えた衝撃

としてみます。
では、始めましょう。

1.大統領が撃たれただけでなく?
この事件が起きたのは昭和38年11月22日、場所はアメリカ合衆国テキサス州ダラス、実は丁度この日に日本の衛星中継があり、世界中にこの事件の一報が伝えられた事は、周知のとおりです。実際に、この事件は、大統領が狙撃されて右頭骸骨を砕かれた映像は、現在でも衝撃映像として通用するほど有名です。

さて、この事件には、もう一人殺害された人物がいます。それが、犯人として歴史に名を残す事になってしまったリー・ハーヴェイ・オズワルドという青年です。彼は犯人にされた後、警察署から護送される際に、マフィアの人物によって至近距離から射殺されます。

しかし、此処で疑問が残ります。どうして、オズワルドと言う青年が大統領を暗殺したのか、そもそも、暗殺自体が不可能だったのではないのか…と言う議論が昭和40年代に入って、アメリカ国内で沸騰してくるのです。
そのカギを解くため、当時の担当検事として、ダラスにいたニューオーリンズ地方検事のジム・ギャリソンさんの著書「JFK」をもとに話を進めます。

ケネディい大統領射殺事件の再調査は、事件発生から20年の年月を経た昭和51年から同54年にかけてであり、そのうえでオズワルドの単独での犯行は不可能だと言う結論を出してきたのです。
これには、合計7点の根拠が挙げられております(「JFK」から抜粋)。

1) ケネディ大統領暗殺事件の5日前(昭和38年11月17日)、FBI(連邦捜査局)ニューオーリンズ支局は、週末にダラスで大統領の暗殺計画があると言うテレックス(Teletype Exchange Serviceの略称で、テレタイプ社及び、日本のメーカーが開発していたテレタイプ端末{印刷電信機とも}による通信機器の事を指す)による警告を受けていたが、FBIはそれをシークレットサービス(大統領を護衛する警備のスペシャリスト)に連絡しなかった。
2) ダラスのディーリー・プラザ(犯行現場は、北東から南西に延びるメインストリートから、外れて、エルムストリートに入った時に起きている)にいた目撃者の多くが、ケネディいの前方の草の茂った小丘(グラシー・ノール{実はその近くを鉄道路線【オーバーパス】が走っている})から銃声を繰り返し聞いているとの証言が多く寄せられており、ダラス警察はその場所にいた3人を逮捕、連行しているが、その光景を写したニュースの記録が無い上、さらにダラス警察も、その3人の顔写真などを公開していない上、記録にも残していない。
3) オズワルドについては、事件直後に硝煙反応(銃弾を発射した後には発火した後の煙が、衣服などに着く為に、そういった検査をする事は多い)を受けた。しかし、彼は24時間以内に銃を使用したという事実がなかった。ダラス警察は10カ月にわたり、隠ぺいしている。
4) エイブラハム・サプルーダー(当時、8ミリフィルムで大統領の映像を撮っていた)が撮影したフィリムは5年以上にわたり「ライフ」(アメリカの大手週刊誌)の発行社の地下室で施錠してしまわれ、国民の目に触れる事がなかった。
この映画では、ケネディ(大統領)が激しく後方にのけぞっている(これが意味するのは、前方からライフルで撃たれた時の衝撃と考えられる)。
5) ケネディの自動車パレードが現場に到着する約1時間前、オズワルドの暗殺実行犯であるジャック・ルビー(本名:ジェイコブ・ルーベンスタイン)がグラシー・ノールでライフルを持った男を車から降ろしていた。この人物を目撃したジュリア・アン・マーサーさんは、FBIの尋問により、証言誘導させられており、その誘導した事を連邦政府は説明も否定もしていない。
6) ケネディの死亡後、軍によって検死がされたが、その際にケネディ氏の脳の行方が分からなくなっている。これは、その後も分からないままであり、その脳によって、彼がいかなる方向から銃弾を受けたのか判明した可能性も高く、事件の明年に立ち上げたウォーレン委員会は、この調査を行わなかった。
7) ベセスダ海軍病院で、ケネディの検死を担当した病理学者は、検死報告書の第1章を自宅の暖炉で焼却した。

と言う事です。
では、誰がこの事件の首謀者と言えるのでしょうか、その点を探ってみましょう。

2.大統領を嫌っていたのは一体だれ?

ケネディ大統領を嫌っていたのは一体だれか、と言う問題がこの事件の焦点として浮上します。
その関係を紐解くには事件発生3年前の昭和35年の大統領選挙がカギとなってきます。
実は、共和党陣営はアイゼンハワー大統領(日米安保条約改定でも大統領として訪日しようとしたものの、それが学生などの反対をかんがみて拒否した事はあまりにも有名)の後継者として、リチャード・ニクソン(米中の国交正常化に尽力した大統領でもあるが、ウオーターゲイト事件でも有名になってしまう。)を指名します。
対する民主党陣営は、マサチューセッツ州選出の上院議員ジョン・F・ケネディを候補に指名して選挙戦を展開します。
さて、その候補選挙の中で、テキサス州のリンドン・ジョンソン、ミネソタ州のヒューバート・H・ハンフリー、ミズーリ州のスチュアート・サイミントンの各アメリカ合衆国上院議員、および元イリノイ州知事のアドレー・スティーブンソンを除けば、指名獲得の実際的なチャンスが無い地域的な「お気に入り」候補者に過ぎなかったケネディが、大統領候補となったと言う点では、意外性の高いと言うべき候補だったようです。
この時、ディベートで高い評価を得た事はあまりにも有名です。選挙後に出版された書籍でも「ケネディはテレビ演説で好印象を残したことが幸いしてニクソンに勝利できた」と言った書き方がされたおります。

しかし、このケネディい陣営には、選挙不正とマフィアとの関係がうわさされており、禁酒法時代の密造酒の生産・販売を行っていた関係からマフィアと繋がりの深い上に、父親であるジョセフ・ケネディの協力で、マフィアやマフィアと関係の深い労働組合、非合法組織を巻き込んだ大規模な選挙不正を行っていたことが現在では明らかになっていて、買収や不正な資金の調達のほか、複数の州における二重投票などが含まれていたことが明らかになっております。

ちなみに歌手のフランク・シナトラさんがこの事件にかかわっており、寄付金を募ってケネディ陣営にばらまいたという事実があるくらいです。
結果的に、そのマフィアと手を切ろうとケネディ大統領は動いたのか。それ以外にも、他の部分がのしかかったのか、次の3で見ていきましょう。

3.ベトナムの異変、キューバの変事、そしてその裏にいるソ連

その異変と変事、これはベトナム政策とキューバ危機と言う事になると言えます。「JFK」の3章で、は亡命キューバ人の項目があります。これは、キューバ革命で共産化したキューバを脱出した人々と言う集まりとなるのです。
この結果で、キューバ計画のもとで、キューバ危機が起きたと言われているのです。
それが、軍部の関係が黙ってはいません。ただ、キューバ危機は、その回避で、ケネディの大統領在職中の外交施策の中で数少ない、全面的に称賛されるものであったとされております。その巧みな政治手腕と側近からのサポートそして運によって、ケネディは戦争を望んだ政権中の強硬派のコントロールと、ソ連の脅迫によって脅威が増すことを防ぐことの両方を試み、それに成功した。後に、多くの人々がキューバ危機を「世界が核戦争に最も接近した時」であると考えていたようです。

しかし、軍部との対立があってか、このキューバ危機のほかに、ベトナムでの政策でも対立し、結果的に軍部にもケネディ大統領を暗殺する動機はあったと言う事になるのです。そして、ソ連により誤解によって、キューバ危機は起きたと言えます。しかし、ソ連のフルシチョフ総書記との関係は良好だったと言えるのです。
しかし、この暗殺と同時に、フルシチョフの力を落とすものになってしまう事になるのです。
結果的に、二つの勢力とも動機は十分あったと言う事になるのです。
では、その結果で一体どういう事になったのでしょうか。

4.結果的にベトナムの戦争と、ケネディ大統領の暗殺が与えた衝撃

この結果、リンドン・ジョンソンが副大統領から自動昇格する事になり、その結果でアメリカは12年にわたるベトナム戦争の主役となってしまいます。しかし、ケネディ大統領の暗殺が与えた衝撃は、これだけではありません。

実は、大統領選挙中にキング牧師釈放に向けて、裏工作を行ったと言うのです。それが、公民権法として、ジョンソン大統領の時代に成立しますが、現在は薄くなったとはいえ、まだ人種差別は残っている。
歴史に、「もし」と言う事は禁物かも知れないのですが、彼が10年ほど長生きしていたどうなっていたのでしょうか。

結果的には、このケネディ大統領の狙撃とベトナム戦争が、アメリカのイメージを大きく歪めたという事実があります。

結果的に昭和50年に、南ベトナムが陥落しベトナムの統一が果たされます。ただ、アメリカの社会現状は今も変わっていないのかもしれません。

アメリカのマフィアを描いた映画「ゴッドファーザー」がそれなのかもしれません。マフィアとの関係を断とうとしたケネディ家。しかし、それは悲劇を生む事になります。

これは、現在の日本の暴力団問題と関連しているのかもしれません。

結果的に、非社会的な組織と手を切ると言うのがいかに難しいのかと言う事を、証明したのかもしれません。