京阪旧3000系引退ツアー その8

本日の話題は、「鉄タビ」から、京阪旧3000系引退ツアーの8回目です。

間があいたので、少しおさらいをいたします。淀車庫の中を案内がされておりました。
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これを最後に、淀車庫を出て、寝屋川駅の寝屋川車庫に向かっているのですが、その間に撮影したものをお贈りします。
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7200系7202編成淀屋橋駅行き急行(留置線に留め置かれております)
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1000系1002編成出町柳駅行き普通です。
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3000系3005編成出町柳駅行き特急です。
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9000系9005編成樟葉駅行き急行です。

その後、寝屋川車庫に向かいました。
ここからは2編に分けての動画に譲りまして、此処では、京阪とライバル会社の関係を少し、お話いたします。

昭和ひとケタ台に入った頃に、京阪と旅客獲得競争を繰り広げていた官営鉄道ですが、実は列車の質では、官営鉄道より上を目指そうと考えていたのです。そこで、京阪のカードとして、シートを2人掛けで座れると言う、ロマンスシートを採用したのです。
と言う事は…、小田急の「ロマンスカー」の先祖は、京阪なのかと思われるかもしれません。

実を言うと、大正5(1916)年4月に登場した最急行が特急の元祖と言われております。当時の停車駅は天満橋駅を起点として、枚方市(当時枚方東口)駅、八幡市(当時八幡)駅、中書島駅、伏見桃山駅、伏見稲荷(当時稲荷)駅、七条駅、五条駅、三条駅となっておりました。太字は、現在の特急の停車駅と重なっている部分です。
これで、所要時間は70分でした。現在は、55~57分となっておりました。

ところが、ライバルとして出てくるのが、
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そう、阪急(当時京阪神急行電気鉄道)です。
この阪急の京都線は、京阪の手で作られていのです。しかし、これを、阪急が買収して(昭和19{1944}年)、昭和22(1947)年に京阪が独立【2代目】するのですが、これが、阪急と京阪、国鉄の三つ巴の戦いの始まりとなります。
そんな中で、ロマンスシートと新たなサービスで生き残ろうとした京阪は、昭和20年代後半に昭和28(1953)年のテレビ放映に目を止める事になり、昭和29(1954)年のテレビ車両を採用する事になったのです。
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それが、テレビカーであり、ダブルデッカーです。
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それが、サービスの京阪と言われるゆえんとも私には思えるのです。
さて、動画も届きましたと言う事で、さっそく動画を見ていただき、動画で雰囲気をお楽しみください。

動画の内容は、下の通りにしてあります。合計3点です。

1点目は、導入部分です。2分20秒ほどです。
2点目は、中間部は、6分50秒までの車庫の概要です。
3点目は、最後部は、ピット部分の説明となっております。

それでは、最後までお楽しみください。