京阪旧3000系引退ツアー その10(最終回)

本日の話題は、「鉄タビ」から京阪旧3000系引退ツアーの最終回です。

さて、列車は寝屋川車庫から、終点の中之島線中之島駅に向かっております。ここでは、最終回と言う事で、京阪沿線に残る歴史の話をしていきたいと思います。
実は、この京阪沿線では、多くの史跡を見る事が出来ます。とくに幕末の史跡の数が多く、沿線に散らばっているのが特徴です。
その沿線の中でも、
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鳥羽海道、伏見、淀、橋本は、特に幕末から明治維新の転換点に至る重要な、戦いの場所ともなっております。それは、「鳥羽伏見の戦い」です。実は、京阪沿線はその戦闘による遺跡が残っているのです。
その前に概要について、お話します。
慶応4(1868〈明治元〉)年旧暦1月3日(1月27日)に、京都市へ薩長を討伐するために、北上した幕府軍(総大将:徳川慶喜)に対して、薩長連合軍の兵士の内、薩摩軍の兵士が、発砲したために衝突。伏見でも衝突が起き、戦闘に突入しました。その中で有名な部隊としては、京都の治安を守っていた新選組(元は壬生に活動拠点を置いていたことから壬生浪とも言います)でした。
その中で、戦いは南西に進行するのです。実は、それが京阪線の沿線に集中しているのです。その局地戦の一つに、「橋本の戦い」と言う戦いがあります。
この局地戦の舞台こそ、この画像の場所です。この局地戦は、幕府軍が迎撃するうえで、重要視していた場所でもありました。
しかし、幕府軍の敗走する事になってしまいます。これは、幕府軍の守備部隊である津藩が、幕府軍側に砲撃を加えると言う事態が起こり、戦意を喪失してしまった事が原因です。
こういったように、京阪沿線には幕末を含め歴史的な史跡が多いのです。このほかには、京阪沿線の起点となる淀屋橋駅の近くには、緒方洪庵先生の設立した医療専門学校(医科大学とも見えますが)として有名な「適塾」と、三条駅には元治元(1864)年に起こった維新移行期最大の事件「池田屋事件」の池田屋や、現在のホテルオオクラ京都の旧長州藩邸跡など数が多いのです。
また、中間点の中書島には、あの坂本龍馬も下宿した「寺田屋」もあるのです。
京街道が重要な位置を占めていたと言う事になるのです。そのそばを走る京阪沿線は、まさに歴史的な路線と言う事なのです。
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そう言った歴史を持つ京阪沿線…。そこを走る京阪旧3000系にはどういう景色が見えていたのでしょうか…。そんな事を思いつつ、列車は終点の中之島駅に向かって行きます。
その列車は、大阪へと向かっております。今では、この編成も1編成だけになり、
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この景色も見れないの可能性があります。
さて、列車はこのまま中之島駅に向かって行きました。
最後に、この写真2枚で、〆とさせていただきます。
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やはり特急のこの色がなくなるのも惜しいのかもしれません。
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京阪旧3000系、ありがとう、そして、お疲れさまでした。

と言う事で、今回の鉄タビシリーズは、10回となりましたが終着駅とさせていただきます。ご乗車ありがとうございました。