ロシア兵士は、日本に骨を埋める 05

本日の話題は、「鉄タビ」から「ロシア兵は、日本に骨を埋める」の5回目になります。

さて、
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実際に、この三宮駅からバスに乗って、墓地の場所に向かいます。

その前に、「04」の記事の続きから入りましょう。
ウクライナ生まれのタラセンコは、24歳で旅順などを管轄する関東要塞砲兵として従軍しました。その後、浜寺での捕虜生活ののち、極東、中国などで商売を開始しました。しかし、共産主義の影が、彼の運命を大きく変えます。

昭和33(1958)年、タラセンコ夫妻が降り立ったのは、港町の神戸です。
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日本の地を再び踏んだタラセンコに、どうしてそういうことができたのでしょうか。

実は、タラセンコ夫妻を日本に呼び寄せたのは、夫妻の娘さんに関係があります。タラセンコ夫妻の長女オリガ・タラセンコ(モロゾフ)が、日本でロシア系洋菓子メーカーとして、神戸二大ブランドとされる「モロゾフ」ことモロゾフ家のヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフに嫁いだことが起因しているからです。
ただ、この昭和33年当時は、ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは、父親とともに「モロゾフ」を離れ、「コスモポリタン製菓」を立ち上げていたのです(設立は戦後すぐということで昭和20年)。それから13年ののち、タラセンコ夫妻は神戸にやってきたのです。

そのために、彼はチョコレート製造工場で工場長を務めます。来日時の彼は78歳となっていたのです。そして93歳までの15年間、製造の第一線で見守ってきたということになります。実は、このヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフも平成11年に亡くなるのですが、その彼も、大正5年のロシア革命で亡命していたのです。
どちらにしても共通していたのは、激動の時代を乗り越えてきたという話です。
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まず、墓地の入り口に来たのですが、家族の方しか入ることができないと、書かれておりました。
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そして、墓地のランドマークを撮影しました。

そして、
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撮影したのは、何だこれと思われますが、実は彼が葬られている墓地の風景です。これしか画像がありませんでした。
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ちなみに説明書では、日本語と英語表記でされております。
また、
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説明書などを、掲示板に張ってPRをしております。何気にS氏が写っております。
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このあとで、私たちは神戸市内に戻り、関西快速氏とともに、阪急三宮駅から、十三駅経由で桂駅に向かいます。

では「06」で、タラセンコ氏の最晩年と、ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフが築いた「コスモポリタン製菓」のその後、それから、「モロゾフ」のその後についてです。