梅田発>嵐山(太秦天神川・京阪三条・出町柳・八瀬遊園経由)>叡山根本中堂行きの旅 05

本日の話題は、2本あります。1本目は「鉄タビ」から、2本目は「雑記」からです。

さて、
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室内探索の中で、EF66型機関車の頭の部分だけが残されていたと話しましたが、
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実は、当初の構想では寝台列車の先頭に立つ機会を想定していたのではなかったことがわかっております。
EF66型電気機関車の試作機となったEF66型901号、当初のEF90型電気機関車は、昭和40年代に制作された車両です。当時の特急機は、
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EF65型電気機関車ですが、この1000番PFではなく、500番P型が活躍しておりました(下の画像:まっち氏の化合をお借りしました)。その当時の寝台特急を含む寝台列車は、全国津々浦々に張り巡らされていたのですが、
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実際には、このコンビが運用されていたために、旅客車両の運用を想定していなかったのです。
ところが、それから時は流れて17年後の昭和60(1985)年、車両の重量化に伴って製造された、日本旅客寝台車両市場の大ヒット車両24系25型により、EF65型(この時はマイナーチェンジ車両のPF改と呼ばれた1056号機以降の車両が使用されていました)が、力不足であることから、下積みをしていたEF66型にバトンが渡ります。

私としては、数量を減らしてでもいいからEF65型でけん引するべきではなかったのかと、そういう思いがあります。なぜなら、当時の国鉄はまさに家計が火の車という状態で、サービス低下を招いていたという話があり。
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寝台列車の存続自体が危ぶまれるという危機感はなかったものの、サービス低下は避けられそうにはなかったのです。

当時の車両を見てみると…。当時のスター列車は5列車ほどありました。対九州・山陽・山陰間で話を進めれば、
「さくら」(14系客車使用)、「はやぶさ」、「富士」、「あさかぜ1・4号」と、「出雲1・4号」(この系統はほとんどが24系25型客車使用)となっておりましたが、多くが解放型B寝台車で固められていたのです。

実際に個室寝台車が一般に普及するのは、「北斗星」の登場となる昭和63(1988)年ではなく、平成に入った平成10(1998)年となるので、まだ少し、試行錯誤が続くということになります。

しかし、この当時のA寝台は「さくら」を除いて個室で固められていたから、やる気があったのならできたのは言うまでもありません。
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もう少し、やる気が国鉄の中にあったのなら、その最後の花道を飾ることができたと思います。

ということで、少し横道にそれましたが、
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ジオラマの中の京都を楽しみつつ、時間が過ぎて行きました。画像は、上から「御所」「平安神宮」「梅小路機関区」ということになります。実際に、御所や平安神宮には線路はないのですが、そこはご愛敬ですね(W)。

ということで「06」からは、京福と市営地下鉄で、東山の方面に行きます。
それでは。