秋の京都へ 淀屋橋発の祇園四条経由平安神宮行き 06

本日の話題は、2本あります。1本目は「鉄タビ」からです。

さて、私たちは、円山公園から浄土宗総本山の「華頂山」知恩院に出てきました。
イメージ 1
この知恩院に来た目的は2つあります。一つは、寺院参拝という理由がありますが…、もう一つは、映画好きでレトロ好きの友人のリクエストで、映画「ラストサムライ」の舞台を見てみたいと言う気持ちがあったということになりそうです。

さて、映画「ラストサムライ」のあらすじを簡単に話すと、明治時代に日本に来た主人公は、明治日本軍を育てるという事業に加わります。明治初期には、近代国家と旧体制で職を失った(リストラされた)侍たちとの戦闘が起こっていたという実情を目の当たりにします。
そして、反体制側に拘束された主人公は、その文化に触れ、その文化の存在があってもいいのではないかと思い始めます。その彼らに呼応して戦線に加わった主人公に、主人公の育てている日本陸軍が襲いかかり、結果的に負傷しながらも、彼は帰還を命じられます。
その映画の舞台に、日本らしさを与えるために知恩院の風景などが使われたようなのです。
イメージ 2
イメージ 5
ここは、西山門から撮影していきます。
イメージ 6
パノラマで、こうなりました。これだけ人が映りこみます。ちなみに右端が私の友達です。まさに、門の下に守られるようなひとりの女性たちを連想させるショットにしてみました。
イメージ 7
境内に入ると、長く続く階段が…、おそらくこのあたりが使われたような感じです。
さて、この知恩院は、平安末期から鎌倉時代はじめにかけて布教活動を行った法然上人を開祖とする浄土宗の総本山です。ここで簡単に略歴を述べておきますと、生まれは現在の岡山県津山市、生まれた年は、長承2(1133)年のことです。ということは、平家の栄華も、源平争乱も経験されているということになります。
浄土宗を開いたのは承安5(1175)年のこと、そのあいだに、天台宗の総本山延暦寺で学ばれており、天台宗の関係が深いことでも知られております。
イメージ 8
関連画像として、叡山東塔の講堂を載せておきます。
そのきっかけとなったのが、数え年10の時の体験です。実を言うと、法然上人は元は武士の子どもでした。父親は、地域の行政局を担当する実質的な統治者の性格があったようです。
イメージ 9
しかし、人からの恨みを買って、襲撃されたようです。その時に、幼い法然上人に言い残したのは、

父の敵を、とってはならぬ。その代わり、父のような人や、その父を撃った人が出てこないよをつくりさなさい。

と、この体験は、彼にとっては命以上に心の支えになったというの事実であり、そのために、出家して、最終的には、新しい宗派を開いたということになるのです。
イメージ 10
そして、それを全うしつつ、時には宗教界の厳しい弾圧にも耐えながら、京都に根を下ろしていきました。

どことなく、「八重の桜」にも似たところはありますね。そんなことがあってか、この場所は、いつしか浄土宗の総本山として、有名となったのです。
イメージ 11
実は、この知恩院の一番有名な建物は、この画像の御影堂ですが、本年は、
イメージ 3
なんと、工事中。平成の大修理と名を打った。本格的な修繕工事が行われておりました。
イメージ 4
結果的に見れば、文化財を保つには、定期的な修理も必要ですが、江戸時代に建立された建物の技術は、受け継ぐ人たちの数(特に若者)の減少で、危機に瀕していると言われております。
まあ、その意味合いも兼ねていると言われているのも頷けますね。

さて、そこにお参り、といいますか訪れてみて、読経を唱えてみたのですが、10年経っても記憶が薄れません。
といっても、間違って覚えている部分もありますがね。

と言うことで、次回「07」に移ります。
それでは。