ブログ開設4周年企画 「私と鉄道」 03

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ー確かに、昭和50年代に入ってからは、寝台特急というのが特別ではなくなったのですね。ー

確かに、それはその通りです。昭和50年代に入ってからは、高度経済成長から安定成長に舵を切っていたのです。
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ーあの…ひとつ気になるのですが、その頃の日本ってどういうことになっていたのですか?ー
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ーその頃は、日本は昭和47(1972)年と昭和53(1978)年の2回に分けて、「オイルショック」と呼ばれる経済危機があった。これは日本にとっては大打撃だったのは間違いない。ー

それよりひどかったのは、「ドルショック=ニクソンショック」です。実は、通貨は当時1ドル辺り360円から、昭和46(1971)年当時で308円まで急騰したのです。
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ーえっ? 安くなったのでは…なのに、なぜ急騰なの(?_?)ー

実は、為替市場の厄介なところはここで、これを逆に日本側から見ればわかります。

100円でどれぐらいのモノを買うことができるかで、変わるのですよ。当時マクドナルドが進出したと仮定すると、1ドル360円レートだとしたらハンバーガーが1ドルだった場合と308円だった場合どうなります。
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ーそれは、安く感じますよね。ー

その通りです。ところが、逆はどうでしょう。
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ー(?_?)ー
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ー実は、自動車の例で考えると、今まで360円レートで1万ドルの車が1ドル308円で取引されることになると、1万1千ドルぐらいまで高騰するのだよ。つまり、ドル自体の価値が低くなってしまった。これをニュース用語でも出てくる『円高』と言う経済用語で表現できるのだよ。ー
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ーその上に、石油が上がってしまったら、大変なことになってしまいますね。ー
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ー実際には、大変なことが起こっていたよ。トイレットペーパーが不足して、長蛇の列に並び活争奪戦を繰り広げていた。ー
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ーまた、この頃は、紙が不足するから。水を飲むコップすら満足に生産できないという危機にも見舞われたのよ。ー

確かに、特急車両でよく見かける浄水器のコップは、そのたぐいにあたりますから、苦労があったのは事実です。さて、寄り道しましたが、鉄道にも「オイルショック」は大きな影響を与えておりました。
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ーそのひとつが、特急のスピードダウンダイヤだったのよ。ー

それによって、特急は特別という要素が薄らいでいきます。と同時に、急行列車からの格上げが相次ぎます。
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実は、昭和47年から登場した「出雲」と「瀬戸(画像)」以外にも、
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「つるぎ」が登場し、昭和50年以降は、「北陸」「安芸」「いなば」「紀伊」「北星」「出羽」「明星」などが登場してきます。
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ー実は、一番意外だったのは、客車列車にカムバックしてきた「明星」ですね。これはのちの「なは」の先例となったのですから。ー
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ー確かに、そうだと言えますね。これを見れば明らかですし。ー
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このように、寝台列車の客車での運用は昭和50年になってから始まったものです。その中で成功した例は、
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この寝台特急「なは」です。実は、この「なは」は昭和59年にブルトレになった列車でした。この列車の生涯は波乱万丈と言える人生だったと言えます。
生まれは昭和43年10月1日生まれですが、寝台特急へ衣替えしたのは昭和50年、そしてブルトレとなったのは昭和59年でした。
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ーここから考えると、確かに往年の特急としては命脈を保ったものの、年には勝てなかったというのが本音と言えるかもしれませんね。それよりも、北海道新幹線とあの開業で結果的に僕たちは、お役御免となりますが…。ー

そして、そういった中で、寝台特急の役割は、「移動手段」から「旅行演出空間」というコンセプトに変貌を遂げることになります。それは「04」でお伝えします。