紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅 04

本日の話題は2本ありますが、最初の記事は「鉄タビ」から、「紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅」の4回目です。

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さて、私は「海龍王寺」に入りましたが、その前にこのお寺について初めて知った方もいらっしゃいますので、詳しく紹介します。

「海龍王寺」は創建された年代が、飛鳥時代とも言われており、記録自体も曖昧で、実質の創建年代が特定されていない寺と言われております。ウィキペディアの記事では、隣接する「法華寺(あとで紹介します)」が不比等の屋敷であったことから、光明子(不比等の娘で光明池地域の語源とされており、且つ聖武帝の后、孝謙帝の母)が宮寺としたのですが、「海龍王寺」の寺の伝承によると、その光明子(皇后)の発案で、天平3(731)年に僧侶玄昉が初代住持(住職)となったと、記されております。しかし、正式に記録にあらわれるのに5年もの開きがあったこと、しかも略称として4名称が用いられて一定しないなど、はっきりしておりません。
境内の発掘調査からは、飛鳥時代から奈良時代前期に吹かれていた瓦が出土しており、飛鳥時代創建という指摘がされているのもこれが理由です。正式記録からは、「経師等造物并給物案」という写経関係の文書の中に「隅院」があったことが、分かっており、それが天平10(738)年のことです。しかし、別の資料では天平8(736)年に「経師等造物并給物案」と同じ内容の行があることから、この史料が書かれた時点での存在が確認されております(このややこしさこそ、奈良時代の複雑な歴史を物語っております)。
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さて、伽藍の話に移りますが、この「海龍王寺」の伽藍は、小さい寺ながら、中金堂、東金堂、西金堂による3金堂伽藍寺院であったことが分かっており、中混同を中心に左右に東西の金堂を配置、そこを渡り廊下で囲んだ構成だったと言われております。
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さらに説明を続けますと、平安時代に至りますが、興福寺系に属しており、南都炎上(治承4{1180}年旧暦12月28日{新暦では治承5{1181}年1月15日となっている})のあと50年後に当たる嘉禎2(1236){新暦で考えても55年はたっている}年に真言律宗の宗祖である叡尊が「海龍王寺」の復興に尽力されております。
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そののち、西大寺を祖とする真言律宗宗派に属している寺院として復興を遂げたのですが、その間に、南都炎上に匹敵する東大寺大仏殿の戦い(永禄10{1567}年)で荒廃、さらに、明治にも廃仏毀釈によって荒廃しました。現在の建立された建物は、本堂が江戸の寛文6(1666)年の再建で、西金堂は奈良時代からあったものとされ、鎌倉期に再建されたものです。
そのほかの建物も、叡尊によって再建した経蔵、他に山門は室町期の再建と伝えられております。
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訪ねた時には小雨のが降りしきる中で、まるで雨に打たれた葉が、まるで艶が出るほど美しく。本当を言うと、この世の風景ではないと思えるほどです。
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では、奈良市の重要文化財となる本堂に入ります。しかし、市の重要文化財ですから、撮影はここで一旦途切れます。中では撮影ができないので、説明文だけにとどめますのでご了承ください。

さて、この「海龍王寺」の有名な文化財がないのかといいますと、それが、あるのですよ(って、奥さん! って言わないの?)。まあ、そのうち、五重小塔が有名となっておりますが、実は、驚くことに、工芸品ではなく建物の扱いとなっており、且つ国宝に指定されているのです。
かと言って、「国宝? 建物の扱い? どういうこと?」と言いたいのですが、そのあたりにつきましては、「05」にてお伝えします。

と言うことで、少し寄り道します。
ここで出てきた、玄昉。教科書で出てくる遣唐使阿倍仲麻呂、吉備真備と同じ遣唐使船に乗っていました。
ウィキペディアで調べてみると、玄昉自身の記録は少なく、生年月日は今も不明という謎の人物です。俗称は「阿刀氏(あとうじ)」で、物部氏系列のか系である事が分かっているようです。ただ、『日本系譜総覧』の物部氏(35ページに乗っておりますが)では、その系譜には記載がない上、詳しいことはわからないのが実情です。しかし、天武天皇の蜂起(壬申の乱{西暦672年})に天武天皇方で参戦。天武系天皇の冊立に貢献したといわれております。
翻って、玄昉本人ですが、聖武天皇からの信頼も厚く、橘諸兄政権下(天平8【736】-天平17【745】年)のもとで、吉備真備とともに政権運営を行っていたのですが、人格に対して人々の批判も強かったとされております。
そんな、人物がこの「海龍王寺」の住職というのは、あまりピンと来ないかもしれません。しかし、ここは、平城京の大極殿(政治の中枢)に近いこともあり、留学僧というより、政治宗教学者としての風格が高かったのではないでしょうか。

まあ、少し、気になるところですが、その部分も「05」に回します。ということで、次回に続きます。