紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅 08

本日の話題は、2本あります。最初の記事は、「鉄タビ」から「紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅」の8回目です。

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さて、「薬師寺」と「唐招提寺」の最寄駅である西の京駅から、次の目的地「薬師寺」を目指して歩き出しました。
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さて、「薬師寺」と書きましたが、正式には「新薬師寺」と書きます。そもそもこの寺の始まりは、平城京遷都(和銅3{710}年)の30年前にまで遡るもので、天武天皇が当時皇后であった持統天皇(皇后名は鵜野讃良皇后)の病気平癒の発願がきっかけで建立された寺院の一つで、『日本書紀』には、「天武天皇9(680)年11月12日」に、「薬師寺」の建立発願と、「百人の僧を得度(出家)させた」という条文が残っております。
伽藍建立整備は、天武天皇の発願から18年ほど続き、文武天皇の時代に完成を見たのですが、それから22年後の平城京遷都で、現在の場所に移ります。
移される前の「薬師寺」も史跡として指定されております。奈良県の橿原市城殿町にある「本薬師寺跡」です。この場所は、ちょうど香久山と畝傍山の間に位置しております。そこでも伽藍整備は進められていたそうで、一節では、8世紀(奈良時代)まで進められていたという説もあったとされております。
さて、「新薬師寺」に話を絞っていきますと、「新薬師寺」は移転から伽藍の再配置が完了するまで8年かかっていると伝えられており、養老2(718)年までかかったと書かれているのですが(出典元『薬師寺縁起』(長和4{1015}年))、発掘調査で出土した木簡から、霊亀2年(716年)に造営が始まったという事実が有り、現在のところは、木簡の記述が正しいということになっているようです。
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実は、『扶桑略記天平2年(730年)3月29日の文言では、「薬師寺」の東塔が完成したのは、この日付であるとしております。現在、平成30年度まで至る大改修工事により、上の画像となってしまいますが、平成31年では、
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このような姿に変わると思います。
各施設の解説は次の回に回して、旅に話を戻しましょう。
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さて、唐門受付で、料金を払うことになったのですが、私の持っていた3デイチケットは対応していないということが分かり、普通料金を払うことに…。
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そうした中で、いろいろと施設を見ていきます。実は、「薬師寺」では、東塔の大改修工事の過程で、「薬師寺東塔水煙降臨展」が開かれており、そこで塔の頭にある冠を見ることができます。
少したとえが悪かったのですが、仏像で言えば、光背と呼ばれる部分にあたります。
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さて、このまま、私たちは東回廊を経て東院堂に向かいます。まだ、全貌は見えていませんが、「08」からはその仏像たちと出会いが待っておりました。

と言うことで、「08」では各施設の解説と、仏像たちの姿などを紹介します。「唐招提寺」は「09」、「10」で紹介します。

さて、おまけ。
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こんなものを見つけたのですが、実は、デザイン変更前の12200系ですね。本年の5月に、西行きの名阪特急に乗った車両の前の姿がこれです。
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正面はだいぶ変わりましたが、凛々しい姿で、近鉄特急の屋台骨を支える車両として活躍してもらいたいものです。

それでは。「09」に参りましょう。