紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅 10

本日の話題の2本目は、「鉄タビ」から「紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅」の第10回をお送りします。

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さて、「薬師寺」の金堂前に私たちがいたのですが、時刻は午後3時に迫っておりました。
この後の予定では、唐招提寺を回り大和西大寺駅を午後5時前に出る三宮駅行き快速急行に乗る予定でした。しかし、この時点で、大和西大寺駅を午後5時台に出る快速急行でも間に合うと考えて、時間をずらすことを考えました。
まあ、後でも、何とかできると…思い伽藍内を散策しておりました。
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それでは説明に戻します。「薬師寺西塔」は昭和56(1981)年に落慶法要が営まれたことが知られております。
元あった旧塔は、享禄元年(1528年)に戦災で焼失、落慶法要が営まれるまで、再建されなかったそうです。デザインは大改修工事を行っている「東塔」に似ているのですが、
東塔が裳階部分を白壁とするのに対し、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いが出るそうです。また、「東塔」よりも少し高く見えるようになっているのですが、これは経年地盤沈下を「東塔」が経験しているためとも言われております。
しかし考えてみれば、落慶法要から32年の歳月が流れ、塔は色褪せること無く輝いて見え、「中門」に比べて色落ちがしていないのが、意外でした。
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続けて、「薬師寺金堂」に入ります。
この「金堂」は、「薬師寺」の中枢を成すこの建物で、本尊薬師三尊があり、国宝に指定されております。実は、これも昭和51(1976)年再建の建物です。
中尊は薬師如来、左脇侍(向かって右)に日光菩薩(にっこうぼさつ)、右脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)という順番です。実は、右に日光、左に月光の両菩薩が配置されるのは、仏像界ではありふれた例であり、そう珍しいわけではありません。
ところが、この中尊(中心の仏像)の裏にはこんな銘があります。「巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来、大いに誓願を発し、広く慈哀を運(めぐら)す」です。これは、「巍巍」とは高い峰のように大きく堂々としている様子、「蕩蕩」は大河のように広くゆったりとした様子を表す言葉であり、男性的な堂々とした姿を現したものとされております。
一方、日光菩薩と、月光菩薩は腰を少しひねった姿が印象的で、セクシーな女性をイメージします。これは、頭部、上半身、下半身がそれぞれ異なった角度を表す「三曲法」と呼ばれるポーズに由来しており、そのクレイジーさを見ると、創建当時はインド文化はもちろん、アラビア文化も混じっていた可能性があり得ると考えてしまいます。その像を拝見しながら進みます。
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続いては、「薬師寺大講堂」です。この建物は、平成15(2003)年に改修工事を受けてこの姿になりました。建物としては伽藍最大級の広さを誇ります。その中には、弥勒如来坐像を含む銅造三尊像が安置されておりました。
銅造如来及両脇侍像及び、「弥勒三尊」と呼ばれるこの仏像は重要文化財の指定を受けておりますが、本来所有していた寺院の特定どころか、いつどこで製作されたのかが全くわかっていないようなのです。
それで、なぜ弥勒三尊かと思われますと、弥勒仏思想は宋時代に広まった信仰の一つで、この様にて教えを与えるブッダの代わりに4億年後に、教えを与えるブッダの役目を果たすと考えられていたことに由来します。その系譜として広隆寺(京都府京都市左京区太秦)の木造弥勒菩薩半跏像(瞑想中の状態)がそれに当たります。
そして、元の唐門(入口)に戻り、北側に歩いて進むと見えてくるのが「玄奘伽藍」です。
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さて、ここからは、「11」に向かいますが、その中身を詳しくお話します。
そこには、インドの名僧とその教えを求めて、国禁を破った一人の僧侶の物語があったことを…。

では「11」に向かいます。
それでは、おまけです。
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実は、この橿原線を通る橿原神宮前駅行きと天理駅行きには西ノ京駅に止まる急行があります。
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私たちの乗った普通のあと気に来た列車がそれです。

実際に言えば、休日限定かと思ったのですが、平日でも午後4時まで停車するみたいですね。時刻表によれば特急も止まるとのこと、休日ダイヤなら数時間延長されているようです。

是非行ってみてはいかがでしょうか。ということで、おまけでした。

それでは…。