紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅 13

本日の話題は、2本あります。最初の記事は「鉄タビ」から「紅葉の奈良へ 晩秋大和路旅」の第13回目です。実は「唐招提寺」にいます。

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さて、「唐招提寺」の主な文化財をここから紹介していきます。実際に、私たちが来た時は夕方の午後4時頃、この時間帯になると訪れる人は少なくなります。ちょうど、修学旅行生がいたために、こうなったのですが、まず最初に「金堂」が門から、伽藍内に入った段階で目に飛び込んできます。
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この建物は、建物内に本尊となる盧遮那仏と両脇に観音像があるのですが、そのうち右手が薬師如来、左手が千手観音菩薩という三尊としては珍しい形態をとっております。
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本尊の盧遮那仏坐像は、奈良時代末に8世紀後半の作品とされておりますが、光背(光のオーラを表現するために仏像では使われた方法の一つ)が千体の佛をまとう姿を再現しています。実は、唐招提寺は国家指定を受けていない寺院ですが、実はこの仏像の制作主は造東大寺司の工人作と推定されております。
続いて、薬師如来はもともと、奈良時代作とされていたのですが発掘結果から、3枚の古銭が発見されており、延暦年間(少なくとも平安京遷都後)に下っている可能性があるとされております。ただ、光背との像とのバランスが悪いとされております。
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続いて、左の木心乾漆千手観音像は総計953本あるという手が表現されており解体作業でもその数の多さが話題になったと言われております。おもに大きな手が42本(21組)のあいだに小さな手が911本入れているという形で、1000本を据え付けようとしていた可能性があります。
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それで、建物本体は、国宝に指定されておりますが、奈良時代の寺院金堂としては最古と言えるものとされております(ただし、創建当初は本堂として建立されてはいません)。特に、修復工事は3回ほど行われており、鎌倉期に2回(文永7{1270}年と元亨3{1323}年)程の改修工事を行った後、江戸時代の元禄6(1693)年から、翌元禄7(1694)年にかけて大改修工事を受けております。そのあとで、明治31(1898)年から、翌明治32(1899)年の改修工事を経て西洋式の建築工法を導入して現在の姿になっております。建立されたのは宝亀12(天応元){781}年とされております。
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続いては、「講堂」となります。実はこの建物は、平城宮の改修で捻出された建物で、建造当初に建築改造を行い、鎌倉時代にも改造工事を行っております。ここには弥勒如来坐像や持国天などが安置されております。ここは時間の都合上、見ることができませんでした。
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「鼓楼」も実は国宝に指定されており、鑑真が唐から請来した仏舎利を安置しており、そのため舎利殿とも称しているそうです。どこにあるかはわかりませんでした。
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続いては、「御影堂」に向かうため歩きます。「礼堂」がありますが、2組の建物をひと組にしたものです。
それより北の10間分が東室、南の8間は仏堂となっております。
さて、「礼堂」をあとにして、「御影堂」ですが、この建物は慶安2(1649)年に建立され現在の地に移されたのは昭和39(1964)年のことです。
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この建物です。そこに、鑑真和尚坐像が安置されております。
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この姿です。そして、その姿を見たかったのですが、横から見てくださいということになりました…、しかし、修学旅行の高校生の集団の中にまぎれたことが幸いして、正面からそのお姿を見ることができました。

そして、そろそろ、午後4時半を過ぎて5時近く、「唐招提寺」から西ノ京駅を経て、大阪難波駅行き快速急行に乗り込みます。
ラストスパートの「14」でその帰り道。「15(最終回)」で、この寺院めぐり旅での感想と、歴史的な話をしていこうと考えております。
そして、お知らせですが、12月5日の記事からの「鉄タビ」では、「18400系ラストラン! ー40年を駆け抜けたある車両の生涯ー」を取材などで記事を書き上げます。それでは。