18400系ラストラン! ―40年を駆け抜けたある車両の生涯― 04

本日の話題は、2本あります。最初の記事は、「鉄タビ」から「18400系ラストラン! ー40年を駆け抜けたある車両の生涯ー」の第4回からです。

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さて、午前11時20分河内国分駅発の青山町駅行き急行に乗り込み、大阪の東側県境を越えて、奈良県橿原市の中心部大和八木駅を目指します。
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昨日の続きですを始めます。近鉄特急は戦前と戦後で性格が大きく変わります。
昭和22(1947)年に再会したのですが、この当時、特急を出していた鉄道会社は、全国を見渡すと、数える程でした。国鉄は昭和24年に「つばめ」を登場させたのですが、民鉄特急で戦後復興の旗振り役となったのが、近鉄が初めてと言えるところです(画像は2610系2618編成大阪上本町駅行き区間準急)。
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その一時期、特急で使用された車両は、戦前の古豪2200系、新2200系でしのぎます。特にモニ2300型はユニークな「レクリエーションカー」と呼ばれる特別車両となっておりました(画像は、1420系か1430系の大阪上本町駅行き急行)。
当時の色は、今のダークブルーの帯を巻いたオレンジ服という、カラーではなく、上半身がレモンイエロー、ボトムパンツのような紺色が入る車体だったようです。
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「Railsim2」で再現したのが、これです。当時の状況を少しでもということで再現したのですが、あまり似ていないのは仕様ということで、このイメージで我慢してください。
さて、近鉄特急はこの復興の年、昭和22年で大阪と名古屋間を4時間3分で結びました。1日2往復走っていました。現在は所要時間は半分になったのですが、甲特急並みの列車でありながら、当時の輸送事情から考えると、この時間が精一杯だったのかもしれません。
その後、列車は戦前と同じく、宇治山田駅まで伸びていきます。実は名阪特急は伊勢中川駅での乗り換えを考慮しての所要時間だったとされております。
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そののち、昭和28(1953)年に特急車両の整備が進められていきます。実は、なぜこうなるのかと言うと、この画像の伊勢志摩ライナーも関係している話です。
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実は、今年のこの「しまかぜ」も、先ほどの話と関係しますが、何かといいますと…。
それは、式年遷宮です。
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実は、今回紹介する18400系もデビューから4年後の昭和48(1973)年に、式年遷宮に合わせて、特急ネットワークを広げるために登場したのです。その間に、昭和28年以降の情勢を経済動向などとともに見ていきます。昭和28年の式年遷宮のあと、昭和30年から始まる「神武景気」から、経済状態が回復、そんな中で、近鉄特急のシンボルとなる列車ができます。それが、昭和33年のビスタカーの元祖10000系です。しかし、10000系はわずか1編成しか生産されなかったのです。
つまり、試作車両という位置づけでした(画像は2410系2420編成大阪上本町駅行き区間準急)。
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そういった中で、とんでもないことが起きたのです。昭和34年10月、突如三重県を台風が通過、いわゆる「伊勢湾台風」です。それによって、伊勢湾沿岸の名古屋線は壊滅的な被害を受け、改良軌道工事と路線復旧工事を同時進行させ、昭和34年11月に全線復旧と同時に、特急専用車両のエースとしてビスタカー10000系の改良車両10100系が登場したのです(画像は22600系と12410系の大阪難波駅行き特急(乙特急))。
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名阪特急は、近鉄の主力として活躍し始めたのですが…。とんでもないライバルが4年後に登場します。それが…(上の画像は、2430系2443編成と2410系の大阪上本町駅行き急行
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昭和39(1964)年10月1日、東海道新幹線の開業でした。これにより、昭和34年以降名阪甲特急となったのですが、このライバルの出現により大打撃を受けます。
そのあとの話は「05」に回します。
さて、河内国分駅から10分走って、大和八木駅に到着。
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1620系1641編成の青山町駅行き急行が滑り込み、青山町駅に向かって出発していきました。

しかし、たんば4号氏はまだ橿原神宮前駅にいるとのこと、そのあとどうしようか迷っておりました。
では、「05」は、大和八木駅で一旦時間を潰すという様子をお話します。解説文では「新幹線」開業後、近鉄特急の模索した道とは何かについてです。

それでは。