桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ 10

本日の話題は、2本あります。最初の記事は「鉄タビ」から、「桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ」の10回目、もう10回まで来ました。
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さて、ついに吉水神社の近くに来たのですが、その前に近くにあった東南院に行ってみることになりました。
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実は、この寺院も役行者が建立されたとされているお寺ですが、元々は、霊地霊山を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願するということに始まります。
「東南院」のウェブページでは、奈良や比叡山など古い霊地霊山には,東南院あるいは東南寺という名の寺院があるのが普通だと言われてのです。証拠に、奈良県には「東南院」が市内にあることからも、重要な拠点になります。
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また、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て,一山の興隆を祈願するということが行われていたことにも近いのです。
つまり、巽は守る方角を指すことになるのであり、そこに守り神を立てることで、人々を守るという意味も指すわけです。
イメージ 4とりあえず、中に入ってみます。小さな寺院ですが、有名なのは画像にある多宝塔です。大峯山護寺院の一つですが、その寺院の中には、後で訪れますが、嘉蔵院もありますが、それは後ほど…。
さて、そこから本日のメインに行きます。
イメージ 5「鳥獣保護区(w)」の中にある吉水神社です。実は、そこでとんでもないものを発見します。突然出てきますので、お楽しみしてください。
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では、その前に吉水神社自体の解説に移ります。吉水神社は、役行者が建立した寺社の一つと言われておりますが、はっきりしたことはわかっていません。実際には、「吉水院」が正式名称で、神社として歩みだしたのは150年ほど前の明治年間に入ってからです。
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日本史に登場するのは「吉水院」時代、つまり、南北朝時代となる延元元(1336)年以降になります。実際に後醍醐帝が、潛幸された時に、この「吉水院」が御所として、お使いになられたと言うことで、有名となりました。
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そのために、この吉水神社には、大阪の南河内(現在の河内長野市、富田林市、千早郡赤坂村)の豪族だった楠木正成が祀られています。
イメージ 10また、この場所は、ちょうど蔵王堂が見える場所であると同時に、天然の要害に守られているために攻めにくいと言う利点があったようです。
しかし、南北朝時代の終焉と同時に、普通の寺院に戻され、再び表舞台に立つのは、文禄年間(1591年から)の秀吉の時代に入ってからで、吉野の桜を見物した時に、本陣として使われたという記録が有ります。ちなみに、秀吉はこの桜を都の近くで見物できるようにと考え、京都の醍醐寺(現山科区)に移植し、醍醐の花見を造影したことは有名な話です。
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その時代から、400年近くが過ぎた明治時代。「廃仏毀釈」の大嵐が吹き荒れる中で、吉水神社も影響を受けます。
明治4年(1871年)5月に五条県が吉水院を神社に改めて吉野神社とする案を太政官政府に提出したのですが、太政官政府はこれを拒否し、後醍醐天皇をまつる神社を別に作ることを条件として提起してきたのです。
しかし、自体は金峯山寺自体が廃寺に追い込まれる中で、奈良県が政府に働きかけて、神社として現在に至ります。そのために、旧社格は「村社」の扱いでしたが、命脈を保ちます。
イメージ 12さて、近年ですが、この神社は或話で有名となっています。それは何かといいますと、「麻雀女子高生の青春」を描いた漫画『咲』の舞台となっていたことです。
で、ここに書かれている絵馬の右下にご注目。「特急喜洲」…。喜洲さんが前に訪れていたのを知らず、私は来たのですね…。
まあ、それは置いておいて、『咲』の話については、後ほどお話致します。

それでは「11」では、大日寺に向かいます。