桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ 12

本日の話題は、2本あります。最初の記事は、「鉄タビ」から「桜咲く? 吉野のめぐる初詣タビ」の12回目です。
イメージ 1さて、勝手神社を後にして、山を登ることになりました。そのまま歩いていたら小さな豆腐屋があり、そこからさらに登り切ります。
イメージ 2実際、、水が美味しい場所であって、しかも、奥吉野では大豆を作っている地域もあるので、美味しい豆腐ができやすいということなのです。京都では良質の井戸水で美味しい豆腐ができるという話がありますが、吉野では井戸水の代わりに、山の水を使うことで品質を保っているということになるのでしょうか。
イメージ 3次の画像では、奈良県特産の干し柿が並んでおりました。この干し柿は、自給自足の一環でしょうか。
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そのあと長い坂をまだまだ歩きます。そこから、北側(北東側)に目を移しますと、もうひとつの伽藍が…、
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そこは、如意輪寺と呼ばれる寺院で、今回は行くのはおあずけとなったのですが、この寺院につきましても、説明致します。
もともと、如意輪寺の創建年代は延喜年間(901年~922年)に、創建されたとされております。さて、延喜年間という言い方ですが、どこかで聞き覚えのある方はいると思います。『延喜式』という律令制度(当時の行政法)の改訂版が、施行されたのが、この頃です。
その如意輪寺も『太平記』の時代と大きく関わりがあります。南北朝時代後醍醐天皇吉野行宮を定めた際に勅願所として定められたのですが、後醍醐天皇も京都(当時は「京」)への帰還の念にかられておりましたが、それも叶わず崩御され、裏山に葬られると寺運が衰えていきます。
寺院復興となるのは、時代が下り、慶長8(1603)年の江戸幕府開府から約50年後の慶安3(1650)年に入ってからで、創建当初は真言宗宗派に属していたのですが、再建後は浄土宗となって現在に至るとのことだそうです。
春になったら行ってみたいですね。
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私と父は、その足で歩いて次の場所に向かい、小さな寺院にたどり着きました。それが、喜蔵院と呼ばれる寺院です。
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この寺院に関しても、少しだけですが、説明致します。
この寺院の開山は、平安時代に京都聖護院の一院として創建されたことから始まります。実は、「役行者霊院札所」の喜蔵院ページでの説明では、天台密教の第三祖たる智証大師円珍の創建とされております。また、比叡山中興の祖といわれる慈恵大師良源(りょうげん)が大峯修行の拠点としたようで、古来天台系の修験と深いつながりのある寺院とされているようです。
時代が下り、江戸時代になると儒学者熊沢蕃山が由比正雪の乱に関わったとの疑いで、吉野に逃れてきており、この寺院が隠れ家になったと言われております。
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現在では、宿坊も兼ねた寺院となっており、儒学者熊沢蕃山の歌碑が残っているそうです。

と言うことで、次回の「13」は桜本坊という寺院について解説していきます。
それでは。